ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

染井為人「正体」(光文社文庫)

昨年映画化されて、とても話題になった作品の原作。映画の評価も高いですよね。

国内の映画賞もいくつか受賞していたようですし。

原作は2022年に発表された時も話題になっていたのかもしれないですが、

その時は全然ノーチェックでした。最近いろんな所で原作も絶賛されているのを

目にして、興味を引かれたので借りてみました。

文庫で600ページ超えの作品ですが、リーダビリティがあるので、ぐいぐい

引き付けられて読み進められました。特に後半は先が気になって読む手が止められ

なかったですね。なるほど、世間の評価も頷ける作品だと思いました。系統としては、

東野さんとか薬丸さんとかの社会派ミステリーの雰囲気に近いかな。

一家惨殺で逮捕された少年死刑囚・鏑木慶一が脱獄し、名前を変え、姿を変えて

いろんな場所を転々としながら逃亡と潜伏を繰り返す様子を描いたサスペンス

ミステリー。少年は、ある目的を持って逃亡した。その目的とは、そして少年の

正体とは――?

ネタバレなしに感想伝えるのがとても難しい。というわけで、以下ネタバレあり

感想になります。未読の方はご注意下さい!

 

 

 

※ ラストに言及しています。読む可能性が少しでもある方は、以下の

  文章はご遠慮下さいませ。

 

 

 

 

 

少年死刑囚の鏑木慶一が、なぜその正体を隠して逃亡を続けるのか、その理由は

なんとなく途中から推測出来てしまうと思う。いろんな潜伏場所での彼の言動を

読んでいると、とても彼が本当に一家三人(しかも2歳の幼児を含めて)を惨殺

した犯人だとは思えなくなってくる。

彼は、自分の正体がバレそうになる度、また違う場所へと逃亡先を変えて行く

のだけれど、その度に人間関係をリセットし、新たな潜伏先でいろんな人々と

出会い、交流を深めて行く。彼と親しい関係になった人はみな、彼のことを

好きになってしまう。それだけ、もともとの性格が素直で優しいからでしょう。

そういうことが、少しづつ明らかになって行くので、なぜ彼は殺人犯になって

しまったのか、なぜ捕まって死刑判決を受けた後で脱獄し逃亡を続けるのか、

凶悪犯とは思えない彼の本性が透けて見えて行くにつれて、読者はその行動に

疑問を感じ、翻弄されて行くことになる。

逃亡を続けるには資金がいるわけで、身分証明書がいらないような日雇い労働者

やスキー場の旅館の住み込みバイトなど、いろんな形でお金を稼ごうとします。

身分証提示を求められたら、今ちょうど持ってないとか、免許証失くしちゃった

ばかりだとか理由をつけて、なんだかんだと切り抜ける。

そうやって逃亡資金を調達しながら、彼はある目的を持って動いていた。その

ヒントは冒頭で提示されてはいるのですが・・・。現在の逃亡先である高齢者の

グループホームの場面で始まり、その後は逃亡直後から時系列を追って逃亡の

様子が描かれて行きます。この構成も上手かったですね。なぜ、現在高齢者施設で

働いているのか、その目的がじわじわと明るみになって行く。どの逃亡先も

それぞれに印象的なエピソードがあるのですが、スキー場のバイトが一番印象

深いかな。痴漢の冤罪ですべてを無くしてしまった元弁護士の渡辺との、涙の抱擁

のシーンは胸にぐっと来ました。多分、お互いにわかり会えた瞬間だったんだろう

なぁ・・・。あのシーンがあるから、余計に鏑木の罪に疑問を覚えましたもんね。

疑問というか、もうあれで確信したっていうかね。

鏑木が終盤で顔を変えてしまったのが辛かったな。その前の潜伏先で、整形の

ことをいろいろ聞き出していたから、多分そうなるだろうなぁとは思ったけれど。

伊坂さんの『ゴールデンスランバー』の時の悔しさを思い出した。でも、一番

やりきれなかったのは、やっぱりラストですよね。あとがきで作者も言及されて

いたけれど。ていうか、読んだ人全員同じこと思うんじゃないでしょうか。あの

結末だけは避けてほしかったと・・・。でも、この結末があるからこそ、この

作品が訴えたいものが読者に伝わるのかもしれず。このやりきれなさを諾としては

いけないと。日本の司法の闇にメスを入れる意味でも、書かれた意味があったの

かな、と思いました。こんな現実は、できればありえない世の中であって欲しい

ですけどね・・・。せめて、残された支持者たちの願いが叶う判決が出て良かった

ですけど・・・時すでに遅し、の苦さとやりきれなさは、最後まで消えることは

ありませんでした。

鏑木が逃亡する先々で、決まって警察が絡む出来事が起きるのは、さすがにご都合

主義的に感じてしまったけれど、逃亡先を転々とするという展開にするには

仕方がなかったのでしょうね。逃亡先がひとつやふたつじゃ盛り上がりに欠けちゃう

しね。マンションのベランダから落ちた後骨折しなかったのかなとか、沙耶香は犯人

隠匿の罪とかに問われてないのかなとか、細かい点も気になりましたけども。逃亡犯

の鏑木だとは知らなかったと押し通したのかなぁ。

映画版の主役を務めたのが横浜流星君ということで、読んでる間頭の中の鏑木の

ビジュアルは、当然ながら横浜君でした(笑)。でも、実際あんなイケメンが身近に

いたら、いくら前髪とか眼鏡とかで隠そうとしたって、目立ってしょうがない

でしょうけどね^^;;

重く辛い結末でしたが、読ませる手腕が素晴らしいと思いました。

読めて良かったです。