ミステリ読書録

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宮部みゆき/「名もなき毒」/幻冬舎刊

宮部みゆきさんの「名もなき毒」。

9月中旬の残暑厳しい中、犬の散歩をしていた老人が路上で突然苦しみだし死亡した。彼が
コンビニで購入した清涼飲料水に毒物が仕掛けられていたらしい。犯人は過去三度に渡って世間を
騒がしている連続無差別毒殺事件と同一人物なのか。財閥企業の社内報の編集者・杉村三郎は、
職場でトラブルを起こしたバイトの原田いずみの身辺調査の為、私立探偵・北見のもとへ訪れた
際、偶然居合わせた毒殺事件の被害者の遺族である女子高校生と知り合い、事件に関わって行く
ことに・・・。「誰か」の杉村三郎シリーズ第二弾。

いろんな意味で‘毒’の詰まった作品でした。文字通り毒物の毒、シックハウス症候群
土壌汚染を引き起こす工場廃棄物等の毒、そして、人間の心に巣食う毒。それぞれの毒は
人の心を蝕み、狂気を駆り立てる。特に原田いずみの毒は強烈でした。読んでいて、本当
に怖かった。彼女の思考回路は全く普通の人間とは思えない。でも、作中で述べられている
ように、何を持ってして「普通」と言うのか、その境界はとても曖昧で、原田いずみの中
では自分だけが普通なのです。周りの全てが自分の敵で、世の中の全部を憎んで生きて来た
彼女の言動に、共感出来る所は一つもありません。でも、彼女のような人間が実際に存在
することは知っています。私の職場でも、似たような人間がいたので。彼女は仕事は出来ない
のに、言い訳だけは立派で、失敗しても誰かのせいにする。間違いを指摘すると逆上して、
「聞いてない」としらを切り、全く反省することもない。それなのに自分の主張だけは
しっかりして、聞き入れられないと怒って更に仕事をしなくなる。どうでもいいような理由で
すぐに休みを取り、責任感のかけらもない。読んでいる最中、原田いずみが彼女に重なって
仕方なかったです。もちろん、原田いずみのような極端な行動には出ませんでしたけど。

だからこそ、とてつもないリアリティを持って、原田いずみの人間性が迫って来た。ラストの
言動は、もう怖くて仕方なかったです。理屈など一つも通らない、異星人のような人間。
どんなに言葉を尽くして誤っていると説き伏せても通じない、まさに違う言語間でコミュニ
ケーションしているかのよう。人間の持つ毒をこれでもかと放出させ、周りの人間を全て汚染
させて行く。怖い。
ここまで悪意を持った人物造詣もすごいと思う。このシリーズは、そういう人間の嫌な所
をさらけ出すのがテーマなのでしょうか。前回の姉妹もすごかったけど、今回はそれの更に
上を行ってますね。ただ、事件の解決自体に関しては、前回よりは後味が悪くなかったです。
それに、新たに登場したキャラクターもそれぞれ良かったし。特にゴンちゃんと秋山氏は作品
の印象をかなり良くしている気がしますね。

毒殺事件の犯人に関してはちょっとあっさり明かされすぎかな、とも思ったのですが、犯人の
犯行動機がなんともやるせなかったですね。やったことに対しては一遍の同情もできない
けれど、その背景にあるものを考えると、原田いずみのような理解不能というものでは
ありませんでした。この二人の言動は対照的ですね。やはり、宮部さんは上手いな、と
感心しました。

私は正直、何故宮部さんが杉村三郎という平凡なキャラクターをシリーズものにしたのか
よくわかりませんでした。でも、本書のラストを読んで、もしかしたら、この2冊は今後
書き続けられるであろう杉村三郎探偵シリーズの序章に過ぎないのかもしれない、彼は探偵役
をするには凡人で優しすぎるところがあるけれど、人間の持つ悪意や毒にリアリティを持たせる
には、彼のようなキャラクターが必要なのかもしれない、と考えを改めました。ただ、彼が探偵
になったら、その代償に妻と子を手放すことになるのかもしれないけれど。
今後杉村三郎は探偵になるのか、次の作品ではその点に注目して読んでみたいと思います。