ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

辻村深月/「スロウハイツの神様 上・下」/講談社ノベルス刊

辻村深月さんの「スロウハイツの神様 上・下」。

ある快晴の日、チヨダ・コーキの小説のせいで大量虐殺事件が起きた。小説家のもとには
大勢の報道陣が押しかけ、口々にこう問うた。「チヨダさん、責任を感じますか」。
そして小説家は筆を折った。しかし、ある新聞記事がきっかけで、彼は執筆活動を再開し、
再び人気作家の道を歩み始める。そして、事件から十年が過ぎ、売れっ子脚本家・赤羽環
がオーナーを務める「スロウハイツ」に住み始めた彼は、個性的な住人たちとの共同生活
の中で幸せに時を過ごしていた。そんな平穏な日々が、突然やって来た謎の美少女・加々美
莉々亜によって、少しづつ壊されて行く――。


正直、上巻を読んでいる時は全くピンと来なかったです。出て来る登場人物にはあまり
共感が持てないし、芸術家たちだけが集まる共同生活、というのも何か嘘くさくてしっくり
来なかった。そんなに都合よく、芸術家たちの卵が一堂に会する訳ないじゃないか、と。
特に環の性格が馴染めなかったのが大きい。こういうエキセントリックなキャラは普段は
嫌いじゃない筈なのに(読んでて、つい「赤朽葉家~」の毛鞠を思い出してしまいました)、
どうも自分勝手でわがままな女王様、というような印象が強くて好きになれなかった。
「最高傑作」と謳われてる筈なのに、これじゃ先が思いやられる、と思いながら読んで
ました。下巻でどこまで化けるんだろう、と期待と不安が半分づつ。辻村さんにはまだ
失望させられたくない、という気持ちが強かった。



で、結論。化けた。やられました。白旗揚げます。
※以下、弱冠作品の内容に触れた部分があります。未読の方はご注意下さい。





もう、下巻の途中、環の過去の辺りから息を吐くのも忘れる程、のめり込んで読んでしまった。
環の過ごして来た過去。辛く、悲しく、やるせない、十代の少女が経験するにはあまりにも
残酷な現実。そうした周囲の物事の中で必死で戦う少女の感情が、胸に痛い程突き刺さってきた。
そうした失意の中のたった一つの希望の光であるチヨダ・コーキの小説。ただ、その存在だけに
生きる証を見出して来た小さな少女。週一回だけ会える大好きな妹との幸せな一時を誰よりも
大事に思う健気さ。読んでいて、どんどんどんどん環という少女が愛おしくてたまらなくなって
いました。おそらく、辻村さんは上巻では遭えて環の内面を書かないようにしていたのだと
そこで初めてわかりました。上巻で環の性格が誤解されるだろうことも計算の内だったの
でしょう。上手い。
圧巻は莉々亜との対決のシーン。とても静かに、でもひしひしと環の怒りが伝わって来て、
なんだかぞくぞくするような快感を覚えました。そう、「ガラスの仮面」で亜弓さんがマヤ
を陥れた乙部のりえを、とても静かに、でも圧倒的な存在感を持って糾弾するあの名シーン
のように(えっ、マニアックすぎる?^^;)。大切な誰かを守る為の胸の底から湧き起こる
静かな怒り。かっこいい・・・。

でもそれを凌駕するエピソードがコーキ視点の章。環側から語られる過去の際に、いくつか
は当たりがつけられていて、ほぼその通りではあったのですが、更に裏をかかれた気分でした。
おそらく、人によっては‘少女マンガ的’と評する人もいるかもしれません。でも、私には
これがまさしくど真ん中、でした。コーキの想いは、おそらく読者の誰もが想像するよりも
ずっとずっと強かったとわかる。彼の不器用な優しさにやられっぱなし。もう、なんだよー、
こんなの、ずるいよー。と思って、泣き出しそうになりながら、読んでました。

この作品は青春群像もの、というジャンルになるようです。ミステリ要素も入ってはいるけれど、
でも、これは間違いなく恋愛小説です。不器用すぎる二人の、どこまでも平行線を辿るような、
でもこの上もなく極上の、恋愛小説、です。
だからこういうの弱いんだってばー。

あ、でもスーと五十嵐の恋愛に関しては引きまくり、でした。こういう女性っているんだよなぁ。
どうしようもない男に入れ込んじゃって、周りが何にも見えなくなっちゃうタイプ。本人が
幸せならそれでいいのかもしれないけど、私はやっぱりこういうのは嫌いです。だから
その後の展開はあまりにも類型的、という感じがしないでもなかったけど、スーの決断は
正しかったと思う。欲を言えば正義ともとに戻って欲しかった所でしたが。そうならない所が、
スーなのかな、とも思ったり。

それにしても、辻村さんのリーダビリティはすごいな。読む手が止められない。
上下巻だったのに、あっという間に時間が過ぎてしまった。
いい読書時間を過ごせました。
とても素敵な、物語です。