ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

桂望実/「明日この手を放しても」/新潮社刊

桂望実さんの「明日この手を放しても」。

19歳で失明してしまった凛子は、潔癖症で何事もきっちりしていないと気がすまない可愛げ
のない性格。兄の真司はいつも何かに対して怒っていて、凛子の失明に対しても気配りが足りず、
頼りにならない。太陽のような存在だった母が亡くなって以来、寡黙だが優しい漫画家の父と
三人で暮らして来た。しかし、ある日突然父が理由も分からず失踪してしまう。残されたのは
仲の良くない兄妹だけ――家族の絆を描いたハートフルな長編小説。


失明してしまった妹の凛子と、いい加減でいつも彼女にフラれる自分勝手な兄、二人の兄妹
が少しづつ成長して行く物語。それぞれの視点から交互に語られる形式。1995年の凛子の
章から始まり、2006年の真司の章で物語が閉じるまで11年の月日が流れます。その間に
始めは険悪で相性最悪だった二人の関係が、だんだんと相手を認めて信じ合えるものに変わって
行く。二人が少しづつ相手の良い所を見つけて行く課程は桂さんらしい描き方で好感が持て
ました。二人ともくせのあるキャラなので始めは感情移入しにくかったのですが、様々な
出来事を通して成長し、お互いに信じ合える関係になって行く所はとても良かったです。
クールで物事に動じない妹と、いい加減ですぐにフラれてしまう兄、対照的な二人の性格の
バランスが良かったです。二人とも好感が持てるとはとてもいえない性格ではありますが・・・^^;
真司は妹が障害者になっても大してその事実を重く受け止めず、つい普通のように接してしまう。
凛子は始めそれを配慮が足りないと不満に思うのだけれど、ある意味こういう真司の性格があった
からこそ二人は上手く行くようになったのではないかなぁと思う。最初から腫れ物に触るように
凛子に接するような人間だったら、凛子はもっと反発してしまう気がする。真司はいい加減で
気配りが足りない所はあるけれど、決して人の気持ちがわからない人間ではない。始めはわから
なかった細かい気配りも、少しづつ習得して行ったし。仕事のことでも、口では嫌だ転職だと
言っていても、結局目の前の仕事をきっちりとこなし、それなりに成果をあげるような面も
あるのだから、実は結構責任感が強い生真面目な所もあるのではないかな。父親かどうかの
遺体確認も嫌がりながらも逃げずにしたし。本当にだらしがなくて自分勝手な人間は目の前の
問題から目を背けて逃げてしまうものです。だから、真司の性格は結構共感が持てましたね。
もちろん、「なんだコイツ」と思う場面も多々ありましたけど^^;;

ただ、トータルで見ると中途半端な印象が拭えない。読んだ人はほとんどの人が感じることだと
思うけれど、やっぱり父親がどうなったのかという問題が曖昧なまま終わってしまっているのは
どうにも消化不良。確かに世間一般の失踪問題を考えると、ある日突然いなくなってそのまま
っていうケースが大多数だとは思うのだけど、こうやって作品に取り入れるのならばせめて
断片でも何故彼が失踪したのかという部分には触れて欲しかった。死んだと決まった訳では
ない、二度と会えなくてもいいからどこかで生きていて欲しいという、「いなくなってしまった人」
に対する残された人間の微妙な感情は伝わって来ましたけどね。

ところで、真司から香ってくる『石鹸の焦げたにおい』って一体何から来るものなのだろう?
職業とは関係なさそうだし、香水つけるタイプでもないし、普通に身体を洗う石鹸だったら
『焦げた』というのはおかしいし、謎。だいたい、石鹸の焦げたにおいってどんなにおい
なんだ?

なんだか兄妹っていいなぁと思える作品でした。私にも実際兄がいるのですが、やっぱり今まで
兄がいて良かったと思えることが多かったので。今は同じ市内に自宅があるのに単身赴任中なので
あまり会えないですけど。なんだかんだいって、血の繋がりって偉大だなと思いますね。