ミステリ読書録

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曽根圭介/「図地反転」/講談社刊

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曽根圭介さんの「図地反転」。

二〇〇七年、四月。狩野川河川敷で幼い幼女の遺体が発見された。その九時間前、直線距離にして
1キロ程離れたパチンコ店の駐車場で、被害者の少女がグレーのパーカーを着た小柄な男と話して
いるのが目撃されていた。目撃者の証言により、一人の男が犯人として浮かび上がった。犯人と
目された男は、検挙歴こそないものの、数々の案件で重要参考人として名前が上がっており、その
案件の中には幼女に対する強制わいせつ事件も含まれていた。捜査員の誰もが容疑者の男はクロ
だと疑わなかったが、証拠だけが依然として見つからず、逮捕に到らなかった。残すは犯人の
‘自白’のみ――『図地反転』――目撃者の証言は『図』にも『地』にもなる。『図』以外の、
関心のない出来事は、『地』(背景)に沈んでしまうのだ――犯罪捜査と司法の問題に真っ向から
挑んだ、著者渾身のクライムノベル。



『図地反転』
図と地(背景)の間を知覚はさまよう。「ふたつの図」を同時に見ることはできない。ひとたび
反転してしまったら、もう「元の図」を見ることはできない。


曽根さんの新刊です。あまり評判のよろしくない乱歩賞作品『沈低魚』系統の犯罪ミステリだと
聞いていたので、自分に合うかちょっとどきどきしたのですが、思ったよりも読みやすく、
一気に読める面白さはありました。
ただ、少し前に読んだ同じく乱歩賞作家の薬丸岳さんの悪党とテーマや主人公の経歴などが
かなり似ていて、ちょっと読んだ時期が悪かったかな、という印象はありました。それというのも、
力量の差が圧倒的に出てしまったように感じたので。面白かったとは述べましたが、そう思った
のもラストを読むまで。とにかく、この投げっぱなしのラストには非常にがっかりしました。
まさか、こんなところで終わるとは・・・。実は、先に読んでいた本好きの友人から、「面白かった
のに、ラストが・・・」とは言われていたので、ある程度は身構えていたところがあったのですが、
ほんとに、その通りの感想になってしまいました。せっかく著者が掲げようとしていた冤罪問題や
犯罪被害者遺族の心の葛藤、真犯人のその後など、すべての問題が全く昇華されずに物語が閉じて
しまっていて、読み終えても一体著者が何を狙ってこの作品を書いたのかが全く見えてきません
でした。読者に結末を委ねる作品が悪いとは言いませんが、ここまでまる投げってのは、あまりにも
酷すぎる。今まで読んできたのは一体何だったんだ?と言いたくなりました。

それぞれのキャラ造形の中途半端さも目につきました。主人公である一杉からして、どうもキャラが
ブレている感じがして、最後まで性格が掴みきれませんでした。それは他のどのキャラにしても
云えることなのですが、あと一歩書き込めばもっと人物像が確立されるのに、そこが薄っぺらい
せいで、物語に深みが感じられない。それぞれの人物のエピソードもやっぱりまる投げで放り
出されているのがとても残念。一杉自身の問題も、アパート管理人の幸八郎の問題も、望月と一杉
の件も、宇都木と黒幕の人物のその後もそう。意味深に謎が提示される割に、その結末部分
が描かれないので、消化不良の気持ち悪さばかりが残る読後感でした。すべてじゃないに
しても、ちゃんと書かれるべき部分は書いてもらわないと、作品として成立しているとは言え
ないんじゃないでしょうか。結局、警察の杜撰な捜査や自白の強要のえげつなさをあげつらった
だけの作品になってしまっているのが勿体ない。『図地反転』の図形と目撃者の盲点を絡めた
辺りなんかは非常に巧いと思うし、幼女殺害事件の捜査をする刑事側と、過去に起きた幼女殺害事件
の服役囚である望月をめぐる側の、二つの視点から語られる構成は読み物としては面白く、二つが
どう絡まって終着して行くのか楽しみに読んでいただけに、この終わりでは納得いきかねます。

ちょっと、厳しい評価になりましたが、ほんとに、ラストの部分がしっかりしていれば、かなり良い
評価に繋がる作品になり得ただけに、とても残念です。あげくの果てのような、トリッキーで、
優れた構成力の作品が書ける力量を持っていると思っているだけに、今後の作品への期待を込める
意味でも、本書には敢えて苦言を呈したいと思います。偉そうですみません・・・曽根ファンの方
には、いち読書人のたわごとと受け流して頂けるとありがたいです。やっぱり、この方はホラー
よりの作品の方が合ってるんじゃないかなーと思ったりなんかしたり・・・やっぱり、『沈低魚』
はやめておいた方が無難だな・・・(ぼそり)。


ちなみに、表紙はデンマークの心理学者ルビン氏が考えだしたルビンの壷の変形バージョン
ですね。「図」とは、形として認識される部分、「地」とは、そのとき背景となる部分を指す。
壺が図として認識されるときは、その他の部分は地であり、2人の顔が図として認識されるときは、
その他の部分は地である。壺と2人の顔が同時に見えることはない、とのことです。
教科書に載ってましたね~。見れば見るほど不思議に感じる図ですねぇ。とりあえずこの表紙は
壺にしか見えないですけどね・・・。