ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

桜庭一樹/「ファミリーポートレイト」/講談社刊


逃亡生活を余儀なくされたマコとコマコ。マコはびっくりするくらいきれいな女の子で、そんな
マコがコマコは大好きだった。娘のコマコにとって、ママのマコは世界のすべてだった。
コマコはマコのコマコ。マコの為だけに存在する娘。行く先々で数奇な運命を辿る親子。二人の
逃亡の先にあったものは――母と娘、二人の絆を描いた衝撃作。


読んでる最中は、早くこの作品のレビューが書きたかった。でも、いざこうして書こうとすると、
なかなか言葉が浮かんでこない。読まれた方のレビューはほとんど読まないようにしていたけれど、
どうやら評価が分かれているらしいというのは感じていました。読んでみて、確かにこれは評価
が分かれる作品だろうなぁと思いました。私個人の意見としては、『最高傑作』という煽り文句
は決して間違いではないと思う。情景が浮かび上がって来るような文章はさらに磨きがかかって
いるし、第一部で繰り広げられる桜庭さんらしい奇抜で奇矯で淫靡な世界観には読む人の息を
飲ませるような勢いがある。マコとコマコの逃亡生活は、決して読んでいて気分のいいものでは
ないです。むしろ、眉を顰めたくなるような描写が次々と怒涛のごとくに押し寄せ、顔を背けたく
なることもしばしば。マコとコマコの関係も、マコは自分のエゴだけでコマコを連れ歩いている
のではないかと思える言動もあって、あまり好感の持てる人物としては描かれていない。それでも、
幼いコマコが神の如くにマコを崇めて愛しているのを読んでいると、この小さな少女の世界から
マコがいなくなることなんてあり得ない、あってはならないことなのだと思えて来る。客観的に
見れば、どう考えてもコマコはマコから離れた方が幸せになれるのだろうと思うのだけど。マコが
いないコマコの世界。それはコマコにとっては死に等しい世界なんだろうと思う。どんなに虐待
されても、酷い言葉を投げかけられても、母にすがり付いて行くコマコが哀れでもあり、愛しい
存在でもありました。

本書は二部構成になっています。叙情的な情景描写で、どこか物語的な第一部に対して、マコの
いなくなった第二部は酷く現実的で、少し興ざめな部分もありました。マコとの逃避行があまりに
現実離れしすぎていたというのもあるのでしょうけれど。それでも、父親との生活に馴染めず、
相変わらずアウトローのような生活を続けながら、小説の世界に没頭して行くコマコの運命は
やっぱり凡人離れしていて、はらはらしながら読みました。命を削るように物語を作り出そうと
するコマコは、桜庭さん自身が投影されているのだろうと感じました。特に第二部は桜庭さんの
私小説なのではと思えるような描写も多かったです。貪るように手当たり次第に本を読む所とか、
文学賞受賞のくだりとか。桜庭さんも床にころがって本を読んだりするのかな(しそう)。

私が『荒野』を読んで消化不良に感じた部分が、この作品では過不足なく描かれています。
桜庭さんらしい十代の少女の淫靡な恋と性。マコがいなくなった後のコマコの十代は、『荒野』
山之内荒野の高校生活の爽やかさとは対極にあるような荒んで堕落した淫靡さが漂っています。
でも、これが私が望む桜庭一樹の世界なんだ、と嬉しくなりました。ねっとりとした濃密な、
少年と少女の淫靡な関係。普通の少女が獣に変わる瞬間。コマコの高校時代の描写は、一番
桜庭さんらしさが現れていたのではないかという気がする。コマコの言動には全く共感も
好感も覚えなかったですが・・・。本書は『荒野』とは対極にありつつ、対になる作品なのでは
ないかと思う。現に、終盤ではやたらに『荒野』という単語が頻発して出て来る。桜庭さん
自身が好きな言葉なのだろうけど、あの作品で描ききれなかった部分を補足して書いたように
感じてならなかったです。

『私の男』は父と娘だったけど、今回は母と娘。家族の血の繋がりや、絆の深さというのは、
桜庭さんの中の永遠のテーマなのかもしれない。タイトルの『ファミリーポートレイト』が
本当の意味を持つラストに唸らされた。桜庭一樹という作家は、一体どこまで行くのだろう。
冒頭に述べたように、『私の男』同様、読む人によって評価が真っ二つに分かれる作品だと
思う。でも、私は桜庭一樹という作家にしか描き得ない物語に圧倒されました。本の世界に
のめり込んで没頭できる幸せ。久しぶりに小説というものの醍醐味を教えてくれる作品でした。
満足です。