ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

奥田英朗/「マドンナ」/講談社刊

奥田英朗さんの「マドンナ」。

定期人事異動でやってきた女性に一目惚れをしてしまった課長の荻野。結婚して十五年に
なるが、その間何度も部下の女を好きになり、頭の中で一人恋愛物語を楽しんできた。
そうした恋は、その女性が退職や異動、あるいは恋人が発覚すれば自然と終わりになった。
しかし、今度の恋は重症だ――(「マドンナ」)。中年サラリーマンの悲哀や葛藤を描いた
傑作連作集。


前回読んだ「ガール」は30代の女性視点。今回は40代の中年男性視点ということで、
やはり前回よりは感情移入はしにくかったです。うちの父は自営業をやっていたので、
ここで登場するような‘サラリーマンのお父さん’っていう存在に、実は小学生の頃は漠然と
憧れを抱いてました。もちろん、それで父の職業を恥ずかしく思ったりするというのはなかった
のだけれど、背広を着て、都会のビルで働くというのが、子供心になんだかかっこよく思えた
のですね。でも、本書を読んで、あの頃憧れだったそういうお父さんたちだって、会社の歯車の
ひとつとして四苦八苦して働いていて、時には恋をしたり、同期や女性の上司に嫉妬したり、
大人気ない態度を取ったりしていたのかなぁと思わされました。中年男性の悩みや逡巡が
とてもリアルに伝わって来ましたね。面白かった。

好きなのは冒頭の「マドンナ」とラストの「パティオ」。
「マドンナ」は、若い女性に恋をしてしまって動揺する中年男性のあたふたぶりがなんだか
微笑ましかった。でも、妄想とはいえ、妻がある身でこれって倫理的にどうなのよ、とも
思ってしまうけれども。まぁ、実際の行動に出す訳ではなく、妄想っていうところが読後感
の良さに繋がっているのでしょうね。男性の気持ちに気付いて鋭く指摘する妻の存在が
良かったですね。それを責めるでもなく容認してしまうあたり、心が広いのか、もう
諦めてしまっているのか判断が難しいところではありますが^^;

正直、間の三編を読んだ時点では、「私はやっぱり『ガール』の方が好きだなー」と思って
たんですが、ラストの「パティオ」で覆されてしまった。主人公と、自らが勤める会社が
再開発した中庭(パティオ)に度々訪れる老人との触れ合いを描いた佳作。読んだ時期が
時期だけに、この作品には格別の思い入れが残りました。主人公の父親の境遇を身近な
ある人と重ねてしまって、途中読んでいて泣きそうになってしまった。

父親は妻に先立たれた後、一人で静かに暮らしています。誰に頼ろうともせず、
息子には心配かけまいと自分から連絡も取らない。それでも、息子夫婦が遊びに行くと
何より嬉しそうにするのに。息子に、「一人暮らしは慣れた」「心配されるのが一番いやだ」
と嘯く父親の台詞がとても切なかったです。
パティオに来る老人を自分の父親と重ねて見てしまう主人公の心情につい感情移入してしまい
ました。老人の頑な態度に腹も立てず、一人の静かな時間を過ごす場所を奪ってしまったと
後悔する主人公の優しさがとても良かった。もともと老人と子供が出てくる作品には弱いのに。
妻に先立たれた夫の一人の生活の侘しさを考えるととても悲しい気持ちになりました。
本当にこの話にはやられてしまった。今の私が読むにはちょっと辛かったです・・・でも今の
時期に読んだからこそ、ここまで心を打たれたんだろうなぁと思う。
最後にこれを持って来たのはやっぱり奥田さんの上手さだろうな。

きっと男性が読んだら「そうそう!」と共感できる作品なんでしょうね。でも、女性の立場
で読んでも十分楽しめました。やはり奥田作品はいいなぁ。