ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

近藤史恵/「ふたつめの月」/文藝春秋刊

近藤史恵さんの「ふたつめの月」。

せっかくアルバイトから正社員に昇格出来た会社から突然解雇を言い渡された七瀬久里子。
喜んでくれた両親にその事実を打ち明けることが出来ず、毎日同じ時間に家を出て時間を
つびして帰る日々が続いていた。好きだった男の子・弓田も、料理の勉強と称してイタリア
に行ってしまった。冴えない日々が坦々と過ぎて行く中、かつての同僚と再会した久里子は、
久里子の退職について、意外な話を聞かされる。不審に思いつつ犬のアンとトモを散歩させて
いると、歩道橋の上に佇む赤坂老人と再会する。得体の知れない人物だが、赤坂の言葉は
久里子の頑なな心を溶かして行く。老人と犬と女の子の物語、待望の第二弾。


前作「賢者はベンチで思索する」で国枝(=赤坂)老人の意外な本性が明らかにされ、
これはもう続編はないだろうなぁと残念に思っていた記憶があったので、国枝さんや久里子や
犬たちにまた会えてとても嬉しい。ただ、前作の内容を大分忘れてしまっていて、1作目で
国枝さんの呼び名が突然赤坂さんに変わるので戸惑ってしまいました。手元に本がない
のでネットで少し調べて、やっとその意味を思い出しました(毎度のことながら、情けない)。
そういえば国枝さんの正体って・・・(ネタばれになるので自粛)。ただ、前作を読んで
いないでいきなり本書を読んだ方にはちょっと意味不明に映るかもしれない。私の中では
‘国枝さん’が定着してしまったので、なんだか読んでいて違和感がありました^^;

赤坂さんの素性はなんだかよくわからないけれど、彼の言葉はいつも静かに正鵠を射ていて、
たくさんの経験を積んだ人にしか出せない、年齢の重みを感じさせます。だからこそ久里子は
赤坂老人に惹かれ、彼を信じられるのでしょうね。
一方主人公の久里子は会社をリストラされ、ボーイフレンドとは上手く行かず、やりたい
ことが見つからないという、悩みだらけのごくごく平凡な女の子。なんだかとっても身に
覚えのある性格。23歳の等身大の女の子で、ついついかつての自分と重ね合わせてしまい
ました。何をやっても上手くいかないような時に、赤坂のようにアドバイスしてくれる存在が
いてくれるのは何より励みになると思う。赤坂は別に久里子に何かをしろとかそれはいけない
とか言う訳ではなく、ただ優しく年長者らしい言葉で久里子の進むべき道を照らしてくれる。
赤坂老人の言葉はどれもとても胸に沁みるものでした。特に、2話目の「死んだ方がいい人間が
いるか」という久里子の問いかけに対する答えが印象的でした。この主題に関しては、つい先日
貫井さんの「殺人症候群」でも考えたばかりだったので・・・。「怒り」と「冷静な判断」は
別なものでいいという、赤坂老人のこういう考え方は、目から鱗の思いでした。

本書には三話が収録されていますが、一作ごとに久里子が成長して行くのがわかります。
それはやはり赤坂老人の存在が大きい。もちろん、弓田君との恋愛も成長の糧ではあるけれど。
ラストの話では、再び赤坂老人との別れがやって来ます。‘ふたつめの月’の真相がとても
切ない。赤坂老人もまた、人の子だったということなのでしょうか。きっと今の彼は人前に
姿を現せない。それでも、大事な人を悲しませたくないという思いが彼に歩道橋へ向かわせた
のでしょう。近藤さんらしい、切ないけれどじんわりと心に沁みる、余韻の残るラストでした。

赤坂老人は一体どうなってしまうのか。彼の本当の仕事に関しては謎のままなので、
是非ともまた続編を書いて欲しい。悩み多き乙女・久里子ちゃんもまだまだ成長途中
なのですから。
あまり読んでいる人を見かけないシリーズですが、人の悪意と優しさを上手に重ね合わせた
良作です。見かけたら是非手に取ってみて頂きたいです。