ミステリ読書録

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宮部みゆき/「楽園 上・下」/文藝春秋刊

宮部みゆきさんの「楽園 上・下」。

2005年5月。連続誘拐事件から9年経った。事件に関わった前畑滋子はフリーペイパー
専門の編集プロダクション『ノアエディション』で専属契約を結んだライターとして働いていた。
そんな滋子のもとに、萩谷敏子という中年の女性が尋ねて来た。彼女の死んだ息子が持っていた
かもしれない不思議な能力についての調査の依頼だった。12歳で交通事故で亡くなった等には
類いまれな絵の才能があった。しかし、彼が描いた絵の中には、彼の能力からは考えられない
稚拙な腺で描かれた絵があった。その中の一枚が、16年前に起きた少女殺害事件の様子を描いた
ものだった。等はその事件が世間に明るみに出る前にこの絵を描いていたという。果たして、等は
見えないものを視ることのできる‘第三の目’を持っていたのだろうか――「模倣犯」で
活躍した前畑滋子が新たに遭遇した事件。事件に関わった人たちが描いた楽園とは――。


本書が発売されるという情報を全く知らずにいたのですが、りあむさんの新刊情報のおかげで
いちはやく図書館に予約することができ、予想外に早く手にすることができました。りあむさん
ありがとうございました(あの新刊情報をかなりあてにしている私です^^;)。


物語は「模倣犯」の事件から9年後です。あの事件の鳥肌が立つようなラストを演出した
張本人、前畑滋子さんが再び活躍します。上下巻併せて800ページ弱ですが、読み出したら
止まらないリーダビリティは相変わらずでした。宮部さんの小説を読んでいるとしばしば
「この人は天性の小説家だ」と感じることがあります。登場人物の一人一人の人物造詣、
心理描写。どうしてこんなに人間心理に長けているのか。宮部さんの観察眼にはいつも
驚嘆させられます。本書でも、人間の持つ良い面悪い面、両方を見事に描いている。だから
こそ物語に没頭し、登場人物たちに感情移入し、のめり込んで読みふけってしまう。時間を
忘れて、ただただ物語の世界に入り込める幸せ。宮部さんは読者にそう仕向けることのできる、
数少ない作家だと思う。

本書において特筆すべきは、始めに滋子に調査を依頼した萩原敏子のキャラクターだと思います。
見てくれはごくごく普通の冴えない中年の主婦。12歳という若さでこの世を去った少年の母親
として、一般の人からは哀れで寂しいおばさんとして見られる存在です。でも彼女は非常に聡明で、
とても強い精神力を持っている。そして、どこまでも優しく温かい人物として描かれる。殺伐とした
事件を扱っている中で、彼女が出てくるシーンにはいつもどこか‘癒し’を感じました。
彼女の洞察力にもびっくりしたけれど、何より彼女のどこまでも謙虚で人を立てる所が微笑ましくて、
心が温かくなりました。だからこそ、溺愛していた息子を亡くしたという事実が重くのしかかって
来ました。こんなに人の良い優しい人物に、神様は何故天罰のようにたった一つの宝物を奪って
しまったのか。彼女の人となりを知れば知る程、世の不条理を感じました。
でも、彼女は強い。息子が死んだという事実を受け止め、その上で、彼との思い出があるだけで
これからの人生を生きて行けると前を向いている。おそらく、子供を亡くした親がこんな風に
いられることはまずありえないのではないかと思います。だからといって、リアリティがないとは
思わない。それは、敏子の人物造詣がそうであるから。彼女はそういう人だと納得できる。
宮部さんが‘人間が描けている’と感じるのは、こういう所だと思う。誰かを家に招く時には
ありったけの食材を買って、自分にできる限りのおもてなしをする。誰かを訪問する時には、
高くなくても感謝の気持ちを込めて菓子折りを買ってくる。例えば、そんなささいな心遣いが、
ごくごく自然に普通に出来る人物。彼女と会った人間がみんな彼女に癒されて行くのがよく
わかりました。
そして、最後の最後、ある人物を前にして彼女が取った行動。あのシーンは、完全に主人公の
滋子は呑まれてました。「模倣犯」のラストを彷彿とさせるような、鳥肌が立つような緊迫感
と緊張感。やはり敏子さんはすごい人間だった。圧倒されました。

敏子と対照的だと思ったのが土井崎誠子。周りの友達からは「あんなに優しい人物に会った
ことがない」と言われるほど好印象を持たれる性格。でも、滋子が姉の事件を少しづつ明らか
にして行く課程を読み進めて行く上で、彼女が100%性格の良い人物だとは思えなくなって
行きました。
滋子の旦那が「何か冷たい」という印象を抱いたのは、実はかなり的を射た表現だったのでは
ないかな、と思う。もちろん基本は優しい性格なのだとは思うのだけれど、その優しさは敏子が
持つ温かみのある芯からの優しさではないように思う。それは、ラストの滋子への態度で決定的
になりましたが。私には、彼女の態度は、「誰か」の姉妹に通じるものがあるように感じました
(あそこまで極端じゃないですけど^^;)。もちろん、事件の当事者が本当の事実を
知った時にああいう態度を取ってしまうのは理解できるし、当然のことかもしれないのですが。
でも、好感が持てたとは決して言えなかったです。元の旦那とのラストも、ああ、やっぱり
な、という感じがしました。すんなりハッピーエンドになっていたら、やっぱり現実味が感じ
られなかったと思う。そういう意味でも、やっぱり宮部さんは巧いな、と感心するばかりでした。







※以下、ネタバレあります。未読の方はご注意ください。








ただ。一つだけ、腑に落ちなかったのは、等が描いたあの山荘の絵について。彼が接触した、
あの記憶を持った人物とは誰だったのか?結局そこの部分が曖昧なままなのが不満でした。
あれは敢えて、なのでしょうか。あんな風に思わせぶりに謎をつきつけておいて、そのまま
終了はないでしょう・・・。恩田作品ならともかく(苦笑)、宮部作品でこういう思いを
したのは初めてかもしれないです。何故あの部分をぼかしたんだろう。宮部さんが書き忘れる
ということはありえないから、きっとわざとなのだろうけど・・・。

実は、最後の最後、滋子に手紙を送ってくる人物が、「模倣犯」の時の高校生・真一で、彼が
「あおぞら会」を手伝っていた、とかいうオチなのかと早合点してしまったのですが・・・確かに
あの人物の方が大団円には相応しいのだけれど。私にとっての大団円は、真一であって欲しかった
りして。だって、未だに消化不良の気持ち悪さが・・・。山荘の絵だって重要な要素の一つだった
筈なのにな~^^;;







タイトルの「楽園」にはいろんな意味が込められていると思う。それぞれの心にある「楽園」。
私は、等の見た「楽園」がどんなものだったのか、見てみたかった。彼の生前の姿をもっと知りた
かったです・・・。事故でたった12歳で亡くなってしまった彼のことを思うと悲しい。
子供が死んでしまう作品はどんなものでも辛いものですね。


宮部さんはやっぱり職人だなぁと思う。上下巻だし、もっと時間かかると思っていたのですが、
あっという間に読み終わってしまった。宮部作品はじっくり読めないのが玉に瑕、かなぁ。
でも、こういう本の読み方をされるのは作家冥利に尽きるのではないかと思ったりして。


いつも以上に記事が長くなってしまった^^;;ほんとはもっと違うことが書きたかった気が
するのに。すいません・・・。とにかく読んで下さいと言いたい。
いろんな感情が芽生える作品でした。