ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

皆川博子/「蝶」/文藝春秋刊

皆川博子さんの「蝶」。

イスパール戦線から復員してきた男は、妻と知らぬ間に住み着いていた情夫との三人暮らしを
始めたが、半年後戦地から密かに持ち帰って来た拳銃で二人を撃ち、投獄される。刑期が終わると、
獄中で知り合った男の勧めで小豆相場に手を出し成功した男は、<司祭館>と呼ばれる老朽化した
木造家屋を購入し、浮浪者であった男を下男に雇って二人で住み始める。時代は移り変わるが、
男は戦後の長い虚無の中で生きていた――(「蝶」)。狂気と怪奇に彩られた珠玉の8篇を収録。


beckさんの年間ベスト1作品と聞いて早速借りてみました。実はこの作品はブログ開設前から
装丁の美しさにつられて、何度も手にしているのですが、実際借りたことはなかったんですよね。
皆川作品はそういうのがとっても多いのですけれど。

いやー、もう、beckさんに感謝です。素晴らしかった。8作の短編が収められていて、正直
云えばラストにピンとこないものもあったのですが、そんなことは超越してどうでも良くなって
しまうくらい、どの作品も完成度が高く、圧倒されました。とにかく、とっても一作が短いのに、
どの作品も完璧なまでに世界観が構築されているところが凄い。そして、何といっても文章が
抜群に美しい。全篇に『詩』が絡んでいるのだけど、その詩がまたどれもぐっと来るんですねぇ。
詩が作品に絶妙に溶け込んで、非常に効果的に使われている。この言葉の操り方はもう、天才
としか言いようがない気がします。昔の言葉で馴染みのない難しい用語もいっぱい出て来るの
ですが、難解な印象もなくさらりと読ませられてしまう。日本語って美しいんだよって教えて
くれてる気がする。こういう文章は読んでるだけで幸せ。文章に溺れるというのでしょうか。
内容なんかどうでも良くなっちゃうんですよ。でも内容も素晴らしいからスゴイ。


どれも良かったのだけど、特に気に入った『想ひ出すなよ』『妙に清らの』『幻燈』
『遺し文』の短評を。


『想ひ出すなよ』
女の子の無邪気さの中に隠された底意地の悪さや悪辣さがふんだんに盛り込まれ、少女間の
心の駆け引きの描き方が秀逸。そして、ラスト1ページのカタストロフに唖然。この一篇で
この短編集の印象ががらりと変わりました。ラスト一行の余韻が凄まじい。


『妙に清らの』
これもラストが強烈。ラスト1ページの情景のシュールな美しさは今後も鮮烈に記憶に残るでしょう。
美しい女性と、青紫の花と、それを活ける『入れ物』。凄惨で残酷で怖ましいほどに美しい。
片目に眼帯をした叔父と痘痕のある妻、それを端から眺める甥の主人公という三人の設定がいい。
このラストには、一生ついて行きます皆川さん!って言いたくなる位やられてしまった。


『幻燈』
邪魔な旦那が他所に妾を囲うと、ほっとして二人だけの世界に没頭する若く美しい奥様と奉公人
である主人公の関係がなんとも淫靡で妖しく、美しきエロスの世界を構築しています。濃密で
淫靡な女二人の世界から一転、突き落とされた現実に冷水を浴びせられたような気持ちになり
ました。奉公人と女主人という設定で、先日読んだ米澤さんの『儚い羊たちの祝宴』の一篇を
思い出しました。


『遺し文』
若く美しく陰のある女にどぎまぎする少年にこちらまでどきどきしていたら、最後はまたも
息が止まるような結末で。ラスト直前の女の一言が、女の悲哀と覚悟を表していて、悲しい。
少年の運命も、また。戦時下ならではの幕引きに、やるせない気持ちになりました。




いやー、堪能しました。さすが、beckさんが一位に挙げるだけの作品だなぁと思いました。
私も『猫舌男爵』よりこちらの方が気に入りました。どれも短いのに、内容の濃さと完成度の
高さが素晴らしい。年末の短編集ベストの候補が早くも出てしまった。
次はどれを読もうかな。