ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

初野晴/「水の時計」/角川書店刊

初野晴さんの「水の時計」。

暴走族集団ルート・ゼロの幹部・高村昴は、仲間を裏切り、族を壊滅状態に追い込んで逃亡している
途中、芥圭一郎という執事のような格好をした見知らぬ男に呼び止められ、一千万の報酬と引き換えに
ある仕事を斡旋された。その仕事とは、閉鎖された病院で延命処置を施された脳死状態の葉月という
少女の臓器をそれぞれのレシピエントの元に運ぶというものだった。『幸福の王子』さながらに、自ら
の臓器を提供し、死を受け入れようとする少女。彼女は何故臓器運搬に昴を指名したのか――第22回
横溝正史ミステリ大賞受賞作。


オスカー・ワイルド幸福の王子は家に本があったので、子供の頃に何度も読みました。王子と
ツバメの健気さに胸を打たれ、救いのないラストに気が滅入りましたが、心に残る作品でした。

本書はその『幸福の王子』のストーリーを軸に物語が展開して行きます。一人の脳死状態の少女が、
自らの臓器を望む人の元に届けたいと願い、その運搬役を一人の少年が担います。『臓器移植』という
現代医療の重いテーマを掲げながら、どこか幻想的で切ない思いが心に響く、美しく物悲しい物語でした。
童話さながらにラストはやるせなく、運命の残酷さを感じました。もっと早く出会えていたら。
二人がすれ違っていたあの場所で、傷ついた少女が少しでも勇気を出して少年に声をかけていたら。
手負いの獣がお互いの傷を舐めあうように、お互いが癒しとなって何かが変わっていたのかも
しれない。ラストの二人の会話が哀しくて切なくて、涙が出そうでした。

昴が臓器を運んだそれぞれの人物のエピソードも、どれもが痛々しくてやりきれないものばかり
でした。第二幕の『蒼いサファイアの瞳』では、精神を壊した母親が最愛の娘に対して犯して
しまった過ちに暗い気持ちになりました。同じような事件が数年前に話題になったことがありますが、
その時も母親の行動は理解不能で憤りばかりを感じました。精神のタガがはずれてしまうというのは
本当に恐い。そして、第二幕の主人公・貴子が可哀想でなりませんでした。ただ、陰で動いた
人物たちの努力で、ラストで救われた思いがしました。
第三幕『剣の柄のルビィ』では違法の腎臓移植と知りながらも、それにすがって結局は騙されて
しまった哀れな女性の行動が歯がゆく、やるせなくなりました。こういう詐欺行為が一番許せない。
藁をもすがる思いで信じて、裏切られる。それがその人にとってどれ程の絶望を与えるのか。
騙す側は騙される方が悪いなどと嘯くかもしれないけれど、そんなの詭弁だと思う。弱い人の心に
つけ込む卑劣な手口に腹が立って仕方なかったです。
第四幕『鉛の心臓』では、心臓を患い余命一年を宣告された昴の恩師・森尾が登場します。
病気の森尾の前から突然姿を消してしまった妻。森尾は親戚の看護婦と供に彼女の行方を捜し始め
ます。妻が姿を消した理由はほぼ予想通りで、あまりにも哀しい理由でした。相手を想って
いるからこその選択に、胸が苦しくなりました。そして、森尾自身の選択も。昴の願いが聞き入れ
られなかったことが悔しく、虚しい気持ちになりました。森尾の気持ちが理解できないわけでは
ないけれど、それでも。若い昴が何故こんなに辛く重いものばかりを背負わなければならないのか、
一作読み進めるごとに、その思いはどんどん強くなって行きました。
第五幕『忘却の炉』では、葉月の過去が描かれます。これもまた、あまりにも重い過去。
そして、終幕では昴と葉月の接点が明かされます。葉月の最後の手紙と、昴との会話。もう、辛くて
切なくて。ただ、悲しい。それしか言葉がないです。
ラストには息を飲みました。これをどう解釈するかは読者に委ねるということなんでしょうね。
昴はどうなってしまったのでしょうか・・・。童話と同じように・・・?でも、読後感が悪かった
とは思いません。余韻を残したラストで効果的だったと思います。

ただ、不満を挙げるならば、昴と兄との関係をもう少し掘り下げて書いて欲しかった。
結局、兄の件に関してはいまひとつ宙ぶらりんのまま終わってしまったので。優等生だった昴が
兄の事件で変貌してしまった過程も、もう少し詳しく書いて欲しかったです。
そして、やはり昴と葉月の会話をもっともっと読んでみたかった。二人のシーンはもっと
多くても良かったのにな。

いやー、良かったです。卓越した文章表現力、奇抜な物語設定の巧さ、独特の世界観の創り方、
どれもデビュー作から健在で嬉しくなりました。ミステリとしての弱さはあるものの、選考委員が
全会一致で作品を推したのも頷ける完成度の高い作品でした。綾辻さんの絶賛選評が嬉しい。
綾辻さんが絶賛したという落選した投稿作『しびとのうた』も読んでみたいなぁ・・・手直しして、
いつか本にしてくれないかなぁ。