ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

早瀬乱/「サロメ後継」/角川書店刊

早瀬乱さんの「サロメ後継」。

一九九九年四月、東京郊外多摩地にあるC市内の産業会館で、小さな箱に詰められた人間の左手
が発見された。水に濡れた純白のタオルで包まれた手首から先のその部分には、全ての指が切り
落とされ、手の甲に無数の切り傷が刻まれていた。捜査を担当する井出川は発見現場の産業会館
の講習室で採用説明会を行っていたブティックチェーン『約束の地』を調べ始める。そこは、
過去にリストカット自傷行為)歴のある者ばかりが勤める奇妙な団体だった。自身が抱える
暗い過去と照らし合わせて、捜査にのめり込ん出行く井出川。そして、新たに人体の一部
が発見されて行く中、事件を調べる関係者が次々と奇妙な死を遂げる。「欲望は伝染する」
――謎の言葉を残して消えた刑事。その欲望とは誰のものなのか。第11回ホラー小説大賞
長編賞佳作作品。


なんとも言えない、独特の雰囲気のある作品です。この作品をどう評価したら良いのか非常に
悩む所です。おそらく、読んだ人の評価は真っ二つに分かれるのではないか、そんな風に
思います。読んでいる最中、奇妙な感覚に捉われて行き、いつしか物語の中に取り込まれて
しまうのではないか、といういびつな怖さを感じる作品でした。それは新興宗教団体のような
「約束の地」の得体の知れなさ、そして事件を調べる者が抱える「リストカット」への奇妙
な感情。この二つの精神的繋がりが、どんどんと心理的に読む者までも圧迫して行く。宗教
ものを読むといつも感じる、「洗脳」の怖さ。人間の精神とはこんなにも御しやすく脆いもの
なのかと思い知らされる恐怖。そういういびつな感情が全篇に亘って湧き起こるのだから、
読んでいてかなり精神的に辛い作品でした。前半部分の、語り手となる人物が次々と謎の死
を遂げるくだりも怖かったですね。この物語には‘主人公’と呼べるべき人がいない。後半
部分は柳原美佐がその役割を担っていると云えるのかもしれませんが、健全だと思われた
彼女もまた心に闇を抱える人間で、ヒロインというとどこか違和感を感じてしまいます。

正直、最後の方はその心理描写に辟易した部分もありました。この内容でここまで引っ張られる
と辛い。ただ、リーダビリティは非常にあると思う。この物語の行く着く先はどこなのか、知り
たいような、知ってはいけないような、奇妙な感情に捉われつつ、後半は一気読みでした。
万人にお薦めできる小説ではないと思います。精神的に疲れてる時なんかには読まない方
が良いです。きっと早瀬さんの仕掛けた物語のいびつさに取り込まれてしまう。自分の
弱い心につけ入られて、もっともっと精神が破綻してしまうかもしれない。でもそんな感情
を起こさせるという点で、この作家はあなどれない。またすぐ次を読みたいという気には
なれないけど、またこの文章に触れてみたい、と思わせる何かがある。本当ならば乱歩賞の
「千年坂火の夢」を先に読みたかった所なのですが、そちらがなかなか借りられない為順番
が逆になってしまいました。しばらく時間を置いて(ここが重要)、そちらも挑戦してみたい
と思います。

劇中作として登場するオスカーワイルドの「サロメ」。数々のオペラや演劇で取り上げられ、
有名画家がこぞって題材にしたがるこの魅力的な作品を、私も昔から偏愛しています。サロメ
の無邪気で一途で妖しい美しさと、その言動のエキセントリックさ、残虐さ。この対比の妙が
この作品の魅力。精神的な怖さを感じるという点で、本書での使われ方は絶大だったと思い
ます。サロメが所望するヨハネの首。決して許されない欲望に抗いきれない無垢な少女の
いびつな想い。銀盆の上のサロメの首を見て微笑む美少女。妖しい舞。激昂するヘロド王。
サロメ」の稽古シーンを読む度に、ギュスターブ・モローの描いた『サロメ』の姿を何度も
思い浮かべました。
なんとも云えない不気味で妖しくいびつでいて魅力的という点で、本書と共通しているかも
しれません。
この、独特の世界観は早瀬乱という作家にしか出せ得ないものかもしれません。今後どんな
作品を生み出してくるのか、非常に興味のある新人だと思います。