ミステリ読書録

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吉田修一/「悪人」/朝日新聞社刊

吉田修一さんの「悪人」。

福岡と佐賀の県境、三瀬峠で保険外交員の石橋佳乃の絞殺死体が発見された。犯人と目される
大学生は逃亡の末警察に見つけられたが、ある証拠から真犯人は別にいることが判明する。
そして、真の加害者である土木作業員の清水祐一が捜査線上に浮かび上がる。警察が清水を
追い詰めようとする直前、清水は一人の女を伴って逃亡を計る。犯人は何故佳乃を殺したのか?
そして、本当の『悪人』とは誰なのか――直木賞作家、渾身の傑作長編ミステリー。


お仲間ブロガーさん大絶賛の本書。一部の方はご存知かと思いますが、私は吉田さんの著作を
読んだこともないくせに、なんとなくある理由から苦手意識が先に立ち、この先一生読むことの
ない作家さんだと思っていました。でも各書評の絶賛ぶりを見るにつけ、やはりこれは読んで
みねば!と使命感に捉われ、手に取りました。結果は読めて良かったと思う。本書を紹介して
下さった方々に感謝を捧げねばなりません。

構成・リーダビリティは確かに素晴らしかったです。先が気になって、止めどころがわからず
深夜まで読みふけってしまった作品は久しぶりでした。恐れていた文章もそれ程気にせず読む
ことができましたし。とはいえ、引っかかる部分がなかった訳ではなく、以前に吉田氏の文章を
酷評した友人の気持もわからないではなかったのですが。

正直、主要登場人物のほとんどに好感が持てなかったです。被害者の佳乃はもちろん、その友人、
佳乃が好きになる大学生の増尾、そして、加害者となる祐一。祐一と逃亡を続ける光代。
祐一だけは後半に行くにつれて見方が少々変わって来たのですが。佳乃に関しては、寂しさから
容易に携帯サイトの男と会い、お金目当てに身体を許し、それを得々と友人に話す。はっきり云えば、
彼女に起きた悲劇は起こるべくして起こったのだと思う。あんな行動をしていれば、いつか必ず
しっぺ返しが来る。そうやって、現実にたくさんの悲劇が生まれている。その事実を知らない訳も
ないだろうに、自分にだけはそんな悲劇は起こらないと信じて簡単に出会い系サイトを利用する。
こうした佳乃の人物像があまりにリアルで、読んでいて痛かった。客観的に見て、ほとんどの人は
彼女の人物像に嫌悪を抱くのではないかと思う。被害者であるけれど、彼女もまた加害者の一部
なのは確かだから。彼女自身が加害者を作り出したと云っても過言ではない。そこにあるのは
『自業自得』のみ。そして、彼女もまた悪人の一人なのだと思う。それでも、彼女にも彼女を
愛する親がいて、親にとっては加害者はどうしたって『悪人』以外の何者でもない。それでも
加害者にも加害者を愛する家族がいて、恋人がいる。誰かにとっての悪人が、誰かにとっての
愛する人なのだという、当たり前の事実がとても重くのしかかってきました。
ただ単に、人を殺した犯人が一番の悪人なのだと結論するのであれば、この小説が書かれた
意味はないと思う。物事はそんなに単純ではないのだと考えされられる所に、この作品の意義
があるのでしょう。本当の悪人とは誰なのか。それは、いくつもの答えが用意されているように
思えてならない。感情論で云えば、大学生の増尾などは一番嫌悪の対象になるでしょう。彼の
言動は本当に唾棄すべきものばかりでした。彼が犯人であればどんなにか良かったと思ったことか。
それでも、彼はあくまでも巻き込まれた人間の一人で、罪に問われることもなければ、世間的に
制裁を受けることもない。のうのうと、自分のしたことを自慢げに吹聴して回ることが出来る。
とても理不尽で、悔しい気持になりました。いつか彼にも天誅が下ることを願わずにいられない。
多分こんな風に人の不幸を請う自分だって、紛れもなく悪人の一人なんだろうな。

本書で一番特筆すべきなのはやはり祐一の人物像だと思います。彼の生い立ちや育った環境、
人間関係を知れば知る程、読む側は彼に肩入れしたくなる。思い込みが激しすぎて不気味
な面もあるけれど、少しづつ彼が本当に純真で優しい人間であることがわかってきます。そして、
彼がとても孤独で寂しい人間だということも。それがわかった上でラストを読むと、彼の最後の
行動はあまりにも彼らしくて、優しすぎて、悲しくなりました。ただ、寂しいからといって、
すぐに携帯サイトの女性と会ってホテルに行っちゃったりする行動には嫌悪を覚えましたが。
この辺りが現代の若者としてのリアリティなのかもしれませんけど。











以下ネタバレ注意です。未読の方はご遠慮ください。














気になったのは、増尾が事件の2~3日前から失踪していたのは何故なのかということが
結局明かされなかった点。何かの伏線だと思っていたのですが、何の説明もなかったことが
消化不良でした。全体の構成の時系列もややわかりにくかった。

あと、佳男には是非一矢報いて欲しかった。スパナで殴ることまではしなくても、一発
素手で殴るくらいはして欲しかったなぁ・・・私がいたらひっぱたいてやったのに!(おい)

房枝ばあちゃんの件もやや消化不良。敵地に乗り込んで行って「解約して下さい」と言った
所で、きっと何も現状は変わらないから。彼女の勇気は賞賛に値するけれど、そこももう一歩
踏み込んで何らかの結末をつけて欲しかったです。

そして、一番腑に落ちなかったのはラストの光代の言葉。彼女は本当に祐一のことを愛して
いたのだろうか。数日間一緒にいて彼の性格がわかっていれば、祐一のあの行動がどんな意味を
持つのかを察することは出来たのではないかと思えて仕方ない。だって、警察が踏み込む直前に
あの行動をすれば、それが未遂で終わることは想像に難くないはず。確かに彼が「悪人」だと
思えた方が楽にはなるのだろうけど・・・世の中の全ての人間が彼を「悪人」だと言っても、
光代だけはそうでないことを信じてあげて欲しかった。この部分の後味の悪さが、作品全体の
評価を下げてしまった。狙っているのはわかるのだけど、心情的に理解できなかった。
ここで白状します。上記の不満点から、私的にこの作品は諸手を挙げての絶賛作品
とはなりませんでした。すみません・・・(またひねくれていると言われそうだ・・・事実だから
いいけどさ)。








という訳で、やっぱり本屋大賞は「ゴールデンスランバー」でお願いします(どんなオチだよ^^;)。
でも、本書が傑作であることは間違いありません。読むきっかけを与えて下さった皆様に
改めて御礼を申し上げます。