ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

米澤穂信/「遠まわりする雛」/角川書店刊


神山高校一年の折木奉太郎の信条は、「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければ
ならないことなら手短に」。今まで省エネ精神で過ごして来た奉太郎だったが、古典部
入部し、気になることがあると追求せずにはいられない千反田えると出会ったことで、様々な謎
と出会うことに――入部直後から春休みまで、古典部の一年を追った連作短編集。


毎度毎度読む度にファンから殴る蹴るの暴行を受けそうな記事ばかり書いてしまう米澤作品。
きっと誰もが「だったら読むなよ」とツッコんでいるであろうことは想像に難くない。そう、
普段の私ならば文章やキャラが苦手な作家は一度読んだら手を出さない。相性の合わない作家
というのはどうしたって合わないことを知っているから。しかし、なぜかこの法則に当てはまらない
作家が米澤さんなのです。相性が悪いと知りつつも、なぜか作品が出ると読みたくなってしまう。
自分でも良くわからないのですが、思うにこれは義務感に近いのではないかと。青春ミステリ
というジャンルが好きならば読んでおかねばいけないという。いや、そんな義務はもちろん
どこにも存在しないのだけれど、自分の中でなんとなく‘読まなきゃ!’という気にさせられる
というか。それとも、「次こそは面白い筈!」という期待を込めているのか。まぁ、とにかく、
あまりいい目を見ないにも関わらず読んでしまうということは、きっと本心では好きということ
なんでしょう。ほら、好きな子をいじめちゃういじめっ子みたいに、「イマイチだった」と
言いつつも、心のどこかでは面白がってる(=好きな)自分がいるんですよね、きっと・・・。
(以上、奉太郎に倣って自己分析)

と、訳のわからない前置きを書いてしまいましたが、で、この本はどうだったのよ、って話
なんですが。本音を言いましょう。面白かった部分とやっぱり反発を覚える部分と半々、でした。
反発を覚えるのはやっぱり人物造詣。どうしても、奉太郎や福部の言動を読んでいて高校生って
気がしない。リアリティを感じないのです。だって、現実の高校生が「誤謬」なんて言葉を
日常言語として使うだろうか?それを言われた奉太郎も普通に受けてるし。二人の会話は
禅問答みたいで、全く現実味が感じられない。こんな会話を現役の高校生が交わしているかと
思うと、日本の高校生の頭脳水準は上がったのかなぁ・・・なんてことは思えずに、いやいや、
絶対普通の高校生はこんな会話はしてないぞ、という反発心がむくむくと頭をもたげてくる。
普段、達観したキャラは大好きな私ですが、奉太郎はとにかく達観しすぎだと思うな・・・。
だからといって、嫌いというよりはむしろ好きなキャラなんですけど・・・って何が書きたい
んだろ、私は。とにかく、奉太郎の省エネ精神キャラはいいのですが、ちょっとやりすぎでは
ないかという気がして、一歩引いてしまう自分がいる訳なのです。「犬はどこだ」でも思った
のだけど、米澤さん、主人公の設定年齢とキャラ造詣を絶対誤っている気がして仕方がない。
そこのギャップにいつも苦しめられるんだよ・・・。

ミステリとしては論理展開が飛躍しすぎてあまり説得力を感じないものが多かった。始めの
「やるべきことなら手短に」なんか、奉太郎のやり方はどう考えても省エネとは思えない回り
くどさを感じたんですが。普通に言葉で上手く言いくるめられそうなものですけどねぇ、彼の
語彙力ならば。そこを敢えてああいう方法を取ったというところが奉太郎の優しさなのかも
しれませんが。

で、文句ばっかり書きましたが、実はラストの「遠まわりする雛」の展開はかなりツボにきました。
ここに行き着かせたいからこそ一年を順に描いていったのでしょうね。なんとなく、「正体みたり」
辺りからそういう展開に持って行きたいのかな~という空気は感じていたのですが。でも、奉太郎
視点だとなかなか感情が見えて来ないのでまさか本当にこういう方向に行くとは思わなかった。
ここでやっと奉太郎もちゃんと男子高校生だったんだなぁと感慨深いものが(母親か^^;)。
これぞ青春ミステリですよ。これで今後の作品に期待が持てるってものです。
でもねぇ、最も得意としてる行動の一つが「ストーブの前で彫像と化すこと」って・・・
それでいいのか、奉太郎よ・・・ウケたけど(笑)。


・・・という訳でもちろん今後も追いかける予定でございます。だって、なんだかんだ
言って、本書がシリーズの中で一番面白かったし。「(ミステリとして)ゆるいな~」と
思いつつも、楽しんでた自分がいるもんね。
ちなみにこれで米澤作品コンプリート。


・・・結局全部読んでるのかよ!(←みなさまの声を代弁してみた)