ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

ほしおさなえ「菓子屋横丁月光荘 光の糸」(ハルキ文庫)

シリーズ第六弾にして、最終巻。家の声が聞こえる青年、遠野守人は、間借り

している月光荘の二階をイベントスペースとしてオープンさせ、管理人として

忙しい日々を過ごしていた。しかし、自分と同じように家の声が聞こえる喜代さん

が亡くなったことが想像以上に堪えており、気持ちが塞がるばかりだった。

そんな中、月光荘のオーナー・島田から、大学の恩師・木谷とともに、狭山市

古民家をリノベーションした蕎麦懐石を食べに行こうと誘われる。「とんからり」

というその店に行くと、守人は「とんとん からー」という不思議な音と共に、

「マスミ」とつぶやく家の声を聞く。この家は何かを訴えている――。

最終巻らしく、これからの守人の生き方を示唆するような終わり方でした。蕎麦

懐石店「とんからり」に行ったことで、物語が大きく動いたように思いました。

若干偶然が過ぎるような気もしますが、それも運命ということで。守人が家の

声を聞くことが出来たことによって、「とんからり」の家の訴えにも気づくことが

出来たし、その声に応えてあげられて良かったと思う。「とんからり」の希望には

応えられなくても、家自体がその理由に納得出来たのだから。大切に受け継がれて

来た古民家がなくなってしまうのはとても悲しいし寂しいけれど、最後に家の歴史

を知ることが出来て、関わった人たちにとってはとても良かったと思う。これも

守人のおかげですよね。もうひとつ、守人の友人・田辺の家のことにもほっと

しました。喜代さんの思い出が詰まった大事な家、新しい形で遺せることになり

そうで良かったです。守人にとっても、喜代さんの気配の残る家がなくなるのは

辛いだろうし。田辺は良い決断をしてくれました。これから、それを維持して

行くのはとても大変なことが多いとは思いますが。SNSなんかを駆使して、なんとか

集客出来ると良いのだけれど。今はいろんなツールがあるから、そういう意味では

便利ではありますけどね。古民家カフェとか流行っているしね。

他人と関わることを避け、孤独だった守人は、月光荘に住み始めたことで、

たくさんの人との出会いがあり、成長することが出来たと思う。少しづつ、

人と人を繋ぐ糸が紡がれて行き、大きな輪が出来た。きっと守人の『家の声が

聞こえる』能力も、意味があるのだと思う。とても素敵な能力だと思います。

月光荘との関係も、これから続いて行ってほしいですね。将来的には、そこを

出ることになるのかもしれませんが、管理人として、ずっと関わって欲しいと思う。

意外だったのは、守人が心を寄せる人物。私はてっきり、べんてんちゃんが相手

になるのでは、と思っていたのですが・・・そっちかー!と思いました。でも、

守人が自分の小説を一番に読んでもらいたい、と思った時点で、もう心は決まって

いたのでしょうね。上手く恋が成就すると良いけれど(まぁ、あの雰囲気だと

大丈夫でしょう)。

月光荘シリーズはこれで完結みたいですが、川越を舞台にした他シリーズも

まだまだこれから書かれて行くでしょうから、守人や月光荘ともまたどこかで

出会えるでしょう。三日月堂のようにね。

大好きなシリーズだったので終わるのは寂しいけれど、ラストに相応しい物語

だったと思います。古き良き物を形を変えて後世に残して受け継いで行く。

ほしおさんの物語は、いつも古き物への愛情に溢れていて素敵だなぁ。

 

 

 

古矢永塔子「ずっとそこにいるつもり?」(集英社)

はじめましての作家さん。なぜ本書を借りたかというと、新着図書欄の内容紹介

のところに、『アミの会短編アワード2022』受賞作の作品が入っている、と

書かれていたからです。アミの会で認められた作品ならきっと面白いだろう、と

思いまして。

いやいや、予想以上に、小技の効いた秀作揃いの短編集で面白かったです。ラストで

予想外の反転があって、そういうことだったのかー!と何度も驚かされました。

一話目を読んだ時点ではそこまですごいとは思わなかったのですけれど。二作目で

「お?」と思わされて、三作目で「おお~!!」となって、その後もどこかで必ず

反転が待ち受けていて、感心させられました。構成が巧い作家さんですね。伏線の

張り方も。まぁ、手法としてはどれもオーソドックスではあるのですけれど。

さらっと書かれていて、伏線が伏線とわからないので、結果騙されちゃう感じ。

どれも良かったけど、一番騙された感があったのは三話目の『デイドリーム

ビリーバー』、読後感が良かったのはラストの『まだあの場所にいる』かな。

ラスト読むまではイヤミスっぽい作品が多いんだけど、最後まで読むと爽快な

気持ちになれるところがいいですね。女性ならではの感性も光っていると思いました。

今後注目の作家さんになるかも。

 

では、各作品の感想を。

『あなたのママじゃない』

完璧な母親だと思っていた姑が、なぜかコンビニのイートインスペースでコンビニ

弁当を食べていた。弥生は、その後会社の人から、彼女が『窓際のドヌーブ』と

呼ばれていて、頻繁にあのコンビニを訪れていることを知る。姑はなぜ家を抜け

出してあんなところにいるのだろうか――。

弥生が、夫から頻繁に急かされていた、役所に行く理由は意外だった。そっちか!

と思いました。てっきり住所変更だと。夫婦にはいろいろありますね。義理の母と

弥生が、なんだかんだでいい女友達になれそうなところが救いだったかな。

 

『BE MY BABY』

大手のメーカーに就職の内定をもらった大学四年の健生。一足先に内定をもらった

恋人から同棲を仄めかされていたが、はぐらかしていた。そんな中、かつて一緒に

暮らしていた美空が突然健生の家に転がり込んで来た。彼女は、健生を置いて突然

『結婚する』と家を出て行った。なぜ今更健生の前に姿を現したのか――。

美空の言動にはイライラしっぱなしだったのですが・・・そういうことだったかー!

って感じでした。伏線の張り方が上手くて、完全に騙されてましたね。同じような

作品、他の作家さんでも読んだことあったのになぁ(一穂ミチさんだったかな??

違うかも)。健生が出した答えにほっとしました。一番やりたいことをやるのが

一番ですよね。

 

『デイドリームビリーバー』

漫画家の峯田は、最近担当からダメだしを食らってばかりだった。担当からは、

『峯田が心から描きたい作品を描いた方がいい』と言われたが、峯田の心は

以前一緒に漫画を描いていた相棒がいなくなってから、空っぽになっていた。

そんなある日、突然峯田の前にかつての相棒・東が現れた。東が幽霊だっていい、

また一緒に漫画が描けるなら――。

これはもう、完全に作者の手中にはまってました。いろいろ深読みしてたのが

全部ひっくり返されました。ああ、そういうことだったんだ、と切なくなりました。

東がこのまますんなり◯◯できればいいのですけどね。ちゃんと彼の遺志を継いで、

面白い漫画を描いて行ってほしいです。

 

『ビターマーブルチョコレート』

高給取りの夫と結婚し、かわいい一人娘も儲けて、順風満帆な生活を送っている

かに見える朱里。しかし、その実、夫とはぎくしゃくしていた。

そんな中、団地に一人で住む母が手を骨折したというので、娘を連れて里帰りすると、

隣の部屋に住む幼馴染の真琴が、ベランダから恨めしげな目でこちらを睨んでいるのを

見つけてしまう。母が言うには、一流企業に勤めていた真琴は、数年前に父親

の介護の為に仕事を辞めて実家に戻って来たのだが、昨年その父親が亡くなり、

その後は家に引きこもるようになってしまったというのだ。母親は、

真琴は幸せな朱里に嫉妬しているから、そっとしておきなさいと言うのだが。

高校時代の朱里と真琴の関係には驚かされました。人間、年を取ると変わるという

ことでしょうか。真琴の言動は最初は恐怖でしかなかったのだけど、だんだん

印象が変わって行きました。朱里の旦那の言動は、完全にモラハラですね。でも、

これからは、朱里も言いたいことを言って、関係性が変わって行けばいいと思う。

ちゃんと真琴という味方もいるのだからね。

 

『まだあの場所にいる』

教師の相田杏子は、転校生の美月を見た瞬間、『この子とは合わない』と感じた。

その後、美月は転校してきたとは思えないほど、クラスにすんなり馴染み、

クラスの中心的人物である莉愛とも仲良くなった。そのことが、杏子はどうしても

腑に落ちなかった。そして、莉愛は、文化祭の出し物のダンスのメンバーに、美月

を入れると言って来た。戸惑う美月だったが、莉愛の説得に負けて出場することに。

ダンスの得意な美月の踊りは、比較的運動の苦手な莉愛とは比べ物にならないくらい

上手だった。なぜ、莉愛は自分よりダンスの上手い美月をダンスのメンバーに

入れたのか――。

莉愛みたいな子っていますよね。クラスのヒエラルキーの一番上にいて、自分が

一番じゃないと我慢ならないってタイプ。やってることが陰湿過ぎて引きました。

顔は可愛いのかもしれないけど、性格は最悪ですね。でも、美月のポジティブ

パワーが、その陰湿さもすべてふっとばしてしまったところが痛快でした。彼女

に関しては、またも完全にミスリードさせられてました。本作が、冒頭に述べた

『アミの会短編アワード2022』受賞作というのも頷けますね。杏子の母親の

毒親っぷりも酷かったな。自分の子供を何だと思ってるんでしょうか。誰かと

比べたって仕方がないのにね。

 

本書のタイトルは、すべての作品の主人公に対しての言葉でしょうか。

そんな場所で留まっていないで、自分の力で、一歩前に出て進んでみれば、

道が拓けるよっていうメッセージなのかな、と思いました。

 

 

秋川滝美「ひとり旅日和 幸来る!」(角川書店)

シリーズ最新刊。読み始めて冒頭から驚きました。だって、一話目で日和が旅する

場所が能登半島なんだもの。微妙なタイミングで読む羽目になってしまった。

というか、日和が旅する観光名所がことごとく被害が大きかった場所で。のとじま

水族館や輪島の朝市や、最後に通りかかった千枚田も。日和がこんな風に呑気に

旅を楽しんでいた場所は、今はもう見る影もなくなってしまったのだ、と思うと

胸が苦しくて仕方なかったです。のとじま水族館ジンベエザメに感激するシーン

とか。その後のジンベエザメの運命を知っているだけに・・・。作者の秋川さん

ご自身も、自分が執筆した後で、まさかこんな事態になるとは思わなかったでしょう。

きっとショックを受けられているのではないかな・・・。取材もしたでしょうしね。

こんな風に観光出来る日がきっとまた来てほしいと願わずにはいられませんでした。

しかし、なし崩し的に海釣りに挑戦することになってしまった日和の行動には

首を傾げざるを得なかったなぁ。いくらやる気がなかったからといって、断れ

なかったのは自分なのだし、あんな愚痴愚痴言わなくても。やる気がないなら、

きちんと断りなさいよ、と思いましたね。で、挙げ句、一回やっただけで見切りを

つけるなんて。諦め早すぎでしょ。せっかくやったことがないことにチャレンジ

する機会を得たんだから、もう少し楽しみを見つけるところまで粘ってほしかったな。

二話目と三話目は新潟(妙高・村上)。KORさーん(笑)。新潟は、むかーしに

佐渡しか行ったことがないので、知らない場所ばかりでした。お城がいっぱい

あるんですねぇ(日和はお城好き)。あと、食事が美味しそう!もちろんお米も!

米処なだけに、お酒も美味しいとのことで、お酒好きの日和の興奮が伝わって

来ました(私は飲めないので行っても同じ興奮は味わえないでしょうがw)。

村上牛はめっちゃ気になりましたけどね(食べたいっっ)。

最終話は私も行った山口だったので、共感ポイントもたくさん。ただ、秋芳洞

での日和の行動にはまたしても首を傾げてしまった。そんなに暗かったっけ?

まぁ、確かに、洞窟を一人で観に行くのって(しかも女性ひとりで)、ハードル

高いのかもしれないなぁとは思うけど。洞窟フェチ人間としては、怖くて

途中で引き返すという日和の行動が残念でならなかったです。その先にすごい

感動が待っているのに・・・!!あんな素晴らしい洞窟を最後まで観られない

なんて、悲しすぎる、と思って。ただ、その後でリベンジの機会があってよかった

ですけどね。それに、そこに付随して、長らく待たされた(日和にとっても

読者にとっても)幸せの結末もついて来ましたしね。

でも、そこに至る前の、蓮斗のアレに関する日和の反応にはイライラさせられっ

ぱなしでした。え、なんでそういう結論になるの!?てか、日和は自分の気持ち

だって伝えてないじゃん、と呆れました。麗華があれほど日和に対して謝る必要

も全くないと思うし。自分から何も行動してないくせに、相手の態度だけで

判断して、がっかりして自己完結って。行動出来ない気持ち自体は理解出来る

んですよ。勇気が出ない気持ちは。でも、それが出来ないからって、相手を

恨みがましく思うのは違うと思うんですが。日和のこういうところはあんまり

好きになれないなぁと思いましたね。

ただ、紆余曲折ありましたけど、最後は幸せな結末で良かった。まぁ、これから

また大きな障害が待ち受けていますけど、この二人なら大丈夫なんじゃないかな?

心配なのは、日和の内向きな性格が誤った方向に行くことだけど・・・。相手に

頑張ってもらうしかないかな、そこは。

次作の舞台は間違いなく九州になるんでしょうね。九州は行ってないところが

いっぱいあるから、どんな名所や美味しい食べ物が出て来るのか楽しみ。

行ったことのあるところが出て来たら、それはそれで楽しみですしね。

小川哲「君が手にするはずだった黄金について」(新潮社)

初小川作品。気になってる作品はたくさんあるのだけど、とにかく予約が多くて

手が出せない。特に『君のクイズ』は読みたいと思っているのだけど、200人

以上の予約があるので諦めて、文庫落ち待ち。本書は、新刊時に早めに予約

しておいたので、思ったよりは早く回って来ました。

ただ、エッセイなのか小説なのか、判断に悩む作品でしたねぇ。強いていえば

私小説ってことになるのかなぁ。どこまで現実なのか、読んでいてわからなく

なってしまいました。実名なんかも出て来るし。主人公は小川哲さんなのは

間違いないんだろうけど、作者と同じ名前の登場人物ってだけな感じもするし。

大部分は自分が反映されているのは間違いなさそうなんだけどね。でも、本当に

こんな事あったのかな?と疑ってしまうような出来事が出て来たりするから、

混乱してしまった。まぁ、フィクションだろうがノンフィクションだろうが、

面白ければそれでいいんだけどさ。

主人公の小川は(登場人物だと開き直って今後は敬称略採用)、正直ちょっと

理屈っぽくて面倒臭い性格だなぁと思いました。

こんな面倒なタイプなのに、友達もいるし彼女もちゃんと出来るんですよね。

不思議(失礼)。ただ、小川の考え方、共感出来なくもない部分も結構ある。

作家なだけに、言葉に説得力があるせいかも。なるほど、そういう考え方も

あるなーとちょいちょい感心させられたりもしました。例えば、東日本大震災

の前日のこと。誰もが、地震の当日の行動は覚えているけれど、その前日に

何をしていたのかって聞かれると、覚えていない人が多いっていう話。確かに、

言われてみると、私自身も、地震の当日何をしていたのかは鮮明に覚えている

のに、前日のことは全く記憶から抜け落ちている。小川は、それが気になって

仕方がなくなり、なんとかして前日の記憶を取り戻そうとする。その過程も

面白くて、少しづつ思い出して行く前日の記憶の果てに、まさかの事実に辿り

着いて、驚かされました。人間って、往々にして記憶の改ざんを無意識に

しちゃってるものなんでしょうねぇ・・・。都合の悪い事実は捻じ曲げる。

思い出したくない過去には蓋をする。歴史と同じように。

それ以外にも、オーラリーディングの占い師にはまった友人の嫁とか、投資詐欺で

炎上するデイトレーダーの友人とか、偽物のロレックスを身に着けて嘘ばかり話す

漫画家とか、うさんくさい人がいっぱい出て来ます。

有り得そうで、そうそう身近にはないような話が出て来て、小川さんって、本当に

こんな経験しているのかな~?と疑いたくなるようなエピソードばかりだった。

ノンフィクションっぽく書かれたフィクションってのが正解なんだろうなぁ。まぁ、

どちらにせよ、面白く読んだことは確か。小川さんが非常に頭の良い人だという

こともわかりました。

最後の『受賞エッセイ』に出て来た、『熱い氷』という短編は実在するのかな。

実在するならこのクレジットカード不正利用の話も信憑性があるのだけどね。

しかし、自分のクレジットカードがどこかの国の人間に勝手に不正利用されるって

ほんとに怖いな。どうやってカード情報を入手されたんだろうか。どうやって

防げばいいのか・・・。

いろいろと身につまされる話が多かった。甘い言葉や儲け話には気をつけようっと。

ひとつ気になったのは、腕時計を『巻く』という表現。個人的に、腕時計は

つける、とかはめる、とかの表現しか使ったことがなかったので、ちょっと

違和感ありました。腕時計を巻く、というのは普通に使われるものなのかな?

誰か教えて下さい~。

 

 

雫井脩介「互換性の王子」(水鈴社)

初の雫井小説。意外に思われる方もいるかもしれませんが、今まで何となく避けて

来た作家さんなんですよね^^;『火の粉』が話題騒然となった時、予約が多かった

せいだったか読み逃して、そのままなんとなく敬遠する作家さんになってしまって

ました。ではなぜ、今更本書を手に取ったかと言いますと、この表紙のコアラの

絵が気になって仕方なかったからです(笑)。自他ともに認めるコアラ好きとして、

書店で本書を見かけて、速攻で図書館予約せずにはいられませんでした。なぜに

コアラがスーツを着ているの?主人公はコアラなの!?と謎は深まるばかり。

ただ、書店でパラパラ中身を見る限り、コアラらしき要素はひとつも出て来なかった

のですが・・・^^;

まぁ、とにかく、そんな邪な動機から読み始めた作品でしたが、読み出すと

ぐいぐい惹きつけられて読む手が止まらなくなる面白さでした。どちらかというと、

池井戸さんみたいな企業エンタメ小説でしたね。残念ながら、読めども読めども

コアラは一切出て来ませんでしたが・・・。

主人公は中堅の飲料メーカーシガビオの御曹司・志賀成功。三十手前で事業部長

に抜擢され、近い将来取締役就任確実と目され、プライベートでは意中の女性

との交際も順調に進行していて、まさに順風満帆の人生を歩んでいた。しかし、

そんなある日、成功は突然何者かによって別荘に監禁されてしまう。誰がなぜ、

どんな目的で――?半年の監禁生活の後、なぜか突然解放された成功が会社へ

戻ると、社内の雰囲気は一変し、しかも成功のポストには、なぜかほとんど会う

こともなかった異母兄の実行が我が物顔で居座っていた。成功の監禁は義兄が

仕組んだものなのか――。しかも、実行は成功の想い人・山科早恵里の心をも

掴みつつあるらしい。すべてを奪われた成功は、奪われたものを奪い返す為、

復権をかけて立ち上がる――。

企業でのポストをかけて兄(義兄ですが)と弟が戦う、ノンストップ企業エンタメ

作品。てっきり私は、冒頭に出て来た成功の監禁事件の謎を解いて行く物語

なのかと思ったのですが、そこは驚くくらいあっさりと犯人が明らかにされて、

拍子抜け。まぁ、あんなゆるい監禁手段を取るくらいだから、成功に悪意を

持つ人間の仕業ではないだろうとは思ってましたけど・・・。いろいろと腑に落ち

ない気持ちを抱えて読んでいたので、犯人の真意がわかって溜飲が下がった

ところはありましたけどね。

本書の読みどころは、それよりも飲料メーカーとして、新しく発見した乳酸菌を

いかにしてヒットさせるか、それを兄弟間で競い合う企業小説の部分かなと思い

ます。そこに恋の駆け引きなんかも加味されて、読み応えのあるエンタメ小説

になっていると思います。成功と実行はライバル同士でバチバチし合う訳ですが、

どこかでお互いに兄弟として認め合っているのが伺えるんですよね。終盤は、

いけすかないライバル会社の御曹司の汚い横槍に、二人で協力し合って対抗する

シーンなんかも出て来ますし。お互いに距離は取っているけれども、なんだかんだ

でいい兄弟なのかな、と思えましたね。仲がいいとは、口が裂けても言えないです

けど。

最後、社長が下した二人それぞれの処遇は、意外なものでした。でも、社長の

真意を知って、最善の判断を下したことがわかって、胸が熱くなりました。社長

にとっては、どちらも大切な息子なんですよね・・・。最後は収まるべきところに

収まった感じ。やはり、企業のトップにいるべき人は見る目が違うな、と感心

させられました。

兄弟二人が好きになる山科嬢、私はあまり好きなヒロインではなかったです。

それよりは、成功に想いを寄せる星奈の方が、キャラとしては好きだったかも。

だから、あの結末はちょっと残念ではありました。

残念といえば、もうひとつ。最後の最後まで、結局作品内にコアラは出て来なかった

ことです(笑)。この表紙は一体なぜコアラなのか。イラストレーターさんに

聞いてみたいです・・・。そこが、本書最大の謎だったかも(笑)。

まぁ、作品としては完璧なエンタメ企業小説で、とても面白かった。映像化

しやすそうな内容だから、そのうち日曜劇場とかで取り上げられるかも?

最近個人的にも乳酸菌飲料に注目しているから、シガビオが出した新製品も

試してみたくなりました。新製品がいかにして商品化されるのか、その過程なんか

もすごくリアルに描かれていて、興味深かった。メーカーに勤務するのは

大変そうだけど、それだけにやりがいもありそうな仕事だなぁと思いましたね。

 

 

 

 

 

 

夏川草介「スピノザの診察室」(水鈴社)

夏川さん最新刊(かな?多分)。今回も当たり前のように医療がテーマですが、

いつもと違うのは、舞台は長野ではなく京都ってところ。京都のはんなりした

雰囲気が、長野を舞台にしたものとはまた違った魅力で良かったですね。とはいえ、

主人公の雄町哲郎自身は関西弁(京都弁?)を話す訳ではありませんが。それも

そのはず、もともとは東京出身で、大学も東京、京都に移り住んだのは六年前

ということなので、周りに影響されずに標準語をしゃべってるのでしょうね。

かつては大学病院で凄腕の内視鏡手術医として活躍し、将来を嘱望された存在

だったが、シングルマザーだった妹の死をきっかけに、彼女の一人息子・龍之介の

面倒を見る為大学を離れ、現在は京都の町中にある小さな病院の内科医に

収まっている。哲郎は今の自分の立場に不満はないが、大学病院時代に一緒に

難手術に立ち会った准教授の花垣からは、その腕を惜しまれ、ことあるごとに

大学に戻って来るよう誘われている。のらりくらりとその誘いを交わしていると、

ある日、花垣から研修と称して、大学から南茉莉という女性が送り込まれて来た。

南は、始めは哲郎の医療への取り組み方に疑問を覚え、不審を隠さずにいたのだが

――。

いろいろな角度から現在医療の現状を描いており、相変わらず読み応えがありました。

哲郎の医療への取り組み方を、哲学者のスピノザの思想と絡めたところは面白いな、と

思いましたね。『神様のカルテ』シリーズも、文学と絡めて医療を描いていたので、

この作者は、そうした他ジャンルと医療を組み合わせるのがお好きなのかな~

と思いましたね。まぁ、医者という存在自体が、いろんな思考を必要とするから

かもしれませんけども。

優秀な内視鏡医として活躍していた哲郎が、あっさり妹の忘れ形見の龍之介との

生活を優先して、小さな町医者になったという設定がいいですね。まぁ、医療界

にとっては重大な損失なのかもしれませんが・・・。龍之介君もとっても良い子で、

できる限り伯父の負担にならないよう料理を覚えたりするところが健気で好感持て

ました。二人が一緒に出て来るシーンはそう多くはないのだけど、哲郎の龍之介

君に対する深い愛情を感じて、微笑ましかったな。妹を失った哲郎にとっても、

母を失った龍之介にとっても、お互いの存在は救いだったんじゃないだろうか。

大学病院にいたら、たしかにもっと華々しく医療界で活躍出来ただろうし、出世も

していたのだろうけど・・・。そこに未練がない訳ではないけれど、龍之介君との

生活を失ってまで得たいものでもないというのが伝わって来て、心が温かくなり

ました。それに、今いる京都の地域病院の中でも、哲郎は必要不可欠な存在に

なっている訳だし。哲郎の診察を待っている人がたくさんいて、彼が心の拠り所

となっている人もいる。余命僅かな患者に対しても、その人にとって最善の処置を

して、迷いながらも、その人の最期に寄り添う、哲郎の医者としての真摯な姿は、

自分も、最期はこんなお医者さんに診てもらいたい、と思えるものでした。時には

冷淡に思える姿勢でも、最後にはそれが必要なことだったとわかるし。研修医の

南さんも、最初は哲郎に不審の目を向けていたけれど、哲郎のやりたいことが

わかり、その腕の確かさを目にした後では、わかりやすく態度が変わりました

ものね(苦笑)。まぁ、そんな彼に惹かれるのはわからなくはないなーと思いました。

終盤の、哲郎が大学病院に紛れ込んで難手術の手助けをするシーンは、緊迫感が

ありつつ、哲郎の鮮やかで的確な指示に胸を掴まれました。かっこいい・・・!!!

これは惚れるわー、と思いました(笑)。また、かつてバディを組んでいた花垣

先生との信頼関係にも、ぐっと来ましたね~。また、二人で難手術に挑む姿なんかも

読んでみたいなぁ。哲郎は、確かに、小さな町病院の内科医で収まるには勿体ない

人ではありますよね。ま、能ある鷹は爪を隠すという姿勢がまたかっこいいの

だけれどね。

現代医療に必要な何かがさらりと描かれていて、医療ものに抵抗がある人にも

読んで頂きたい作品ですね。多少難解な医療用語も出ては来ますが、そこは

医療もののご愛嬌ってところで。基本的にはとても読みやすい、医療を通した

人間ドラマの良作だと思いました。

 

 

 

吉田修一「素晴らしき世界 ~もう一度旅へ」(集英社文庫)

ANAの機内誌(翼の王国)に掲載された、吉田さんのエッセイを集めた旅エッセイ集、

最終巻。連載が終わってしまったみたいなので、これで最後なんですね。多分

全部読んでる訳ではないけど、読めた作品はどれも楽しく読めたので、これで

最後なのはちょっと寂しい。今回は、コロナの真っ只中に掲載されたものが中心

なので、コロナ禍のこともちょいちょい書かれていました。コロナが始まってから、

遠出の旅行を全くしていないので、飛行機に乗ることもなくなっていました。

本書を読んで、ああ、飛行機に乗って、遠くに行きたいなぁ・・・と改めて

思いましたね。吉田さんが紹介する、様々な国内・海外の都市の様子や、食べ物

や風土、どれを取っても行ってみたくなるような描写ばかりで、いつか行けたら

いいなぁ、とその都度思えました。吉田さんといえば、もう大作家と言っても

おかしくない地位を確立されていると思いますが、どのエッセイでも、誰に

対しても温厚で謙虚なお人柄が表れていて、ほっこりさせられました。人生初の

トークショーでの様子も、緊張っぷりが伝わって来て、微笑ましかったな。

基本アナログ派で、人生初のリモート会議にドキドキする様子とかも、すごく

共感出来ました(そもそも、私はリモート会議ってやつをやったこと自体がない

ので(リモート飲みもしかり)、もし今後やるとしたら、多分同じような感じに

なると思われ・・・^^;)。

旅の失敗談も紹介されているのですが、印象的だったのは、そうした旅先での

失敗というのが、旅に出られる幸福の一部なのだ、という文章。本当に、コロナ禍

で遠くに行けなかった時期のことを思い出すと、その言葉通りだな、としみじみ

思い返されました。

あと記憶に残ったエッセイは、飼い猫の金ちゃん銀ちゃんについてのこと。とっても

かわいがっているのが伝わって来て、ほのぼの。基本的には病気もなく元気な猫

ちゃんずなのだけど、銀ちゃんが百合の花をなめて病院にかかったことがあるそう。

百合が猫にとって猛毒だとは知らなかったです。まぁ、人間にとっても毒だった

気がしなくもないので、推して知るべしって感じはしますが。人間にとって毒

じゃなくても、犬猫にとっては毒なものもたくさんあるし、ペットを飼うって

いうのは神経を使うものですよね。まぁ、その時は微量の花粉をなめたか吸い込んだ

かしただけなので、大事には至らなくてよかったですけどね。

柔らかい文章で綴られる吉田さんのエッセイは、どの回を読んでも温かい気持ちに

なれました。これで終わりはやっぱり寂しいなぁ。旅好きとしては、旅行に

まつわるエッセイを読むのは大好きなんですよね。まぁ、旅に出たくなって

うずうずしちゃうっていう弊害はありますけどね^^;またどこか違う媒体でも、

吉田さんには旅にまつわるエッセイを書いて頂きたいですね。