ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

桜庭一樹「少女を埋める」(文藝春秋)

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久しぶりの桜庭さん。実は少し前にコロナ禍の日常を綴ったエッセイ集も一度は

借りて回って来ていたのだけれど、予約ラッシュ中にぶち当たってしまい、

エッセイを後回しにしていたら、結局泣く泣く読めずに返す羽目になってしまった。

その前に出た長編の『火の鳥』は、なんとなく食指が動かず読めてないままだし。

ここ数年は出版自体も少なめだったような印象があって、一時期は怒涛のごとくに

本が出ていたのに、桜庭さんどうしちゃったのかな?と思ったりはしていたんです

よね。どうやら、本が出ていなかった時期は体調を崩されていたこともあった

ようですね。本書を読んで、それだけではなかったのかもしれない、とも思い

ましたけど。

実は、表題作を読んでいる時点では、この本もコロナ禍に自分の身に起きた

エッセイなのだと思って読んでいたんですよね。まぁ、それは多分、ほとんど

間違ってはいないのだろうけれども。一応、本人モデルの自叙伝的小説、という

ジャンルになるようです。だから、多少脚色している部分もあるのかな。

主人公も冬子という名前になっているし(私は、桜庭さんの本名冬子なんだ~と

思って読んでいたのだけれど^^;)。

だからこそ、これが問題作となってしまった。その後に収録されている『キメラ』

を読んでとても驚きました。この騒動は、実際に起きたことなんですよね?

全然知らなかったのですが。

表題作の『少女を埋める』が雑誌に掲載された後、ある書評家が、この作品に

関する書評を朝日新聞に掲載した。それを目にした桜庭さん(というか、

『少女を埋める』を書いた作家の冬子が、という書き方の方が正しいのかな)

が、実際の内容とは全く正反対のあらすじが紹介されていることに愕然とし、

朝日新聞社に訂正を求めて抗議します。しかし、それを受けた新聞社側は、

訂正は難しいと突っぱねる。書評家も、あらすじと解釈を分けて考えるのは

難しい、小説は多様な『読み』に開かれているものだ、と反論。家族の名誉に

関わる問題を放っておくことが出来ない桜庭さんは、更にいろんな手立てを

使って、自分の意見をわかってもらおうと画策、いろんな人々を巻き込んで

大騒動に発展して行く――こんなとんでもない事態になっていたなんて

全く知らず、本当に驚きました。文壇の世界ではしばしば個人の主張が騒動に

発展することがあって、だいたいネット記事で拡散されるので目にする

ことが多いのですけれど。毎日ヤフーニュース見ているのに、こんな大きな問題を

全く知らなかった自分にも驚きました。ツイッターとかやってないしなー。

しかし、作家が内容と違う書評が載せられた、と言っているのに、訂正記事を

出さず謝罪もしない朝日新聞にも書評家にも唖然としました。ちゃんと内容を

読んでいれば、こんな間違いは犯さないと思うのだけど。掲載が朝日だったのも

悪かったような。捏造記事で問題になったこともあるところだし。プライドが

高くて非を認めることは絶対しないイメージあるしね・・・。書評家も、作家が

違うと言っている以上、まずは謝罪するのが筋じゃないのかな。そりゃ、どんな

読み方するのもその人の自由だとは思うけど、明らかに誤った内容を全国紙で

紹介してしまった訳で、そこは素直に認めようよ、と思ってしまった。エッセイ

ではなく、小説という形である以上、物語の解釈は読者に委ねられるべきというのも

もちろん納得出来るし、私もそれには賛成なのだけれど。桜庭さんの書き方は、

確かに曖昧だったり、仄めかしだったり、微妙な表現をしているとは思いました

けどね。私も、母親の言動には首を傾げるところがたくさんありましたし。ただ、

書評に書かれていたような小説ではないと私も感じました。『虐めてごめんね』

という言葉だけを切り取って、ああいう解釈が出来るってのも不思議ではありました

けど。間違った先入観を与えるような書評は、やっぱり作品への冒涜だと感じて

しまいます。ただ、これが自叙伝的小説というジャンルだったからこそ、起きた

悲劇だったような感じもします。完全にエッセイだったら、桜庭さんの私的な

人間関係に配慮して、もっと内容に即した書評になったかもしれないし。小説風

にしてしまったことで、作中の人物も架空の人物として捉えることも出来てしまう。

そこで現実の桜庭さんの母親の名誉を慮れと言われても、そこまで配慮できない

んじゃないだろうか。

うーーん、難しい。その後の騒動にばかり言及してしまったけれど、表題作の

『少女を埋める』自体は、長く患っていた父親が危篤になり、それを突如

知らされた主人公がコロナ禍に配慮しながら故郷に帰り、看取るまでを赤裸々に

綴った自叙伝小説で、数年前大病を患って生死をさまよった父親がいる私に

とっては、すごく心に響く作品でした。父は幸いなことに手術後、驚異的な

回復をして、今は元気でいますが、あの当時は、本当にあとどれだけ父と会える

のだろうかと不安でいっぱいの日々を過ごしましたから。病床の父と冬子が

対面する場面は、どれもが胸を締め付けられるくらい読むのが苦しかった。

父を亡くしたばかりで傷心の桜庭さんに、ああいう騒動が降り掛かってしまった

のは、不運というしかない。とりあえず、騒動が落ち着いて今はこころの平穏を

取り戻せてらっしゃるといいなと思う。

衝撃的なタイトルも、地方の閉鎖的な風習と現代に生きる女性の苦しさを

上手く表していて、とても印象的です。ところどころに出て来る母親の描写

には考えさせられることも多かったけれど。母親は、今でいえば毒親と捉え

られても仕方がない書き方をしていると思う。だからこそ、ああいう捉え方を

した書評が生まれてしまったのかも、とも。

いろんな物議を醸した作品ですが、私は読めて良かったと思います。新作の

ことにも作中で言及されているので、今度はそちらが読めるのを楽しみに

していたいと思います。