ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

京極夏彦「書楼弔堂 待宵」(集英社)

大好きな書楼弔堂シリーズ第三弾。前作からもう6年経っているそうな。今回の

舞台は昭和30年代後半。弔堂に続く坂道の途中で、鄙びた甘酒屋を営む弥蔵が

すべてのお話の語り手を担います。老いさらばえた世捨て人のようなこの弥蔵の

キャラクターがとにかくとても良かった。商売っ気もなく、何かを諦めたような

言動は、いつもどこか哀愁が漂っていて、一体どんな過去があるのか気になりました。

その答えは最後に明らかになるのですが。この弥蔵のもとには、なぜか弔堂に行く

客人が、道を訊きに訪れる。弥蔵の店から弔堂に行くまでの道は、さほど複雑

ではない筈なのに、不思議と言葉で説明するのは難しく、弥蔵はいつも道案内を

申し出ることになり、一緒について行く羽目に。そして、道案内を終えて引き返そう

とするのだが、なぜか弔堂の主人や小僧のしほるに引き止められ、客人と共に店に

入って話を聞くことになる。弥蔵は、弔堂の主人と本を求めて訪れる客人との会話を

聞いて、世の中の様々な理を知って行く。

今回の弔堂の客は、ジャーナリストの徳富蘇峰徳冨蘆花の兄)、作家の岡本綺堂

新聞編集者の宮武外骨、画家の竹久夢二、物理学者の寺田寅彦、そして最後が

新選組のあの人。

正直、知らない人の方が多いくらいですが(無知)、どの人物も心に迷いがあって

弔堂を訪れる。そして、弔堂主人と話をすることで、自分の中で何かを得て、

後の世の活躍に繋がって行く。もちろん、弔堂との会話は京極さんが作った

フィクションなのだけれど、読んでいると、実際にこういう史実があったんじゃ

ないかと思えて来るくらいの説得力を感じました。弔堂という人は、何か万物すべての

物事を見通してるのじゃないか、と思えるくらい博識で、淡々と語る言葉に含蓄が

ありますね。佇まいは静謐で温厚なのに、妙な凄みがあるというか。京極堂とは

また違った魅力のあるキャラクターですよね。なんというか、京極さんそのまんま

って感じ。ご自身を反映させている訳ではないのでしょうけれど。小僧のしほる君が

また、何とも可愛らしいキャラクターで。今回、しほる君が暴走大八車に

轢かれて怪我をしてしまうシーンがあって、なかなかにショッキングだった。この

時代は大八車で交通事故に遭うのか、と驚かされました。保険とかもないだろうし、

轢かれ損ですよね・・・。老齢の弥蔵が、弔堂までしほる君を背負って送って

あげるシーンにはぐっと来ました。弥蔵って、なんだかんだでお人好しなところが

あって、憎めない。世の中に対して皮肉めいた言葉や諦観めいたことばかり話すので、

一見偏屈爺みたいな印象だけれど。弔堂を探す人に対して、毎度道案内をしてあげる

ところもそうだしね。

あと、人付き合いがほとんどない弥蔵を唯一気にかけてあげる、利吉の存在も

大きい。利吉がなぜ、そこまで弥蔵を気にするのか、そこは最後までわからない

ままだったけれど・・・何か、放っておけない雰囲気があったのでしょうかねぇ。

弥蔵と利吉のやり取りがとても好きだった。終盤、弥蔵の体調が悪くなった

時の利吉の言動とか。もう、完全に孫か息子状態でしたね。本当の家族とも離れて

孤独な弥蔵の生活に、利吉が関わってくれて良かったと思いました。悲しい

最後が待ち受けているのかもしれない、と覚悟しながら読んでいたのですが、

そういうラストではなかったのでほっとしました。本書刊行に際しての著者の

インタビューで、弥蔵は案外長生きするのでは、とおっしゃられていたのが

嬉しかったです。きっと、その後も利吉と一緒に、細々と甘酒屋を営んだのだと

信じたい。

ラストの作品で、弥蔵の過去も明らかになります。ちょいちょい伏線は出て来て

いたけれど、なかなかすごい人物でしたねぇ。名前は知られていないけれど、

歴史に残る事件を引き起こした張本人だったとは・・・びっくりです・・・。

どのお話もその時代の世相が反映されていて、勉強になりました。後に教科書に

載るような人物が続々と訪れる書楼弔堂。とんでもない本屋ですよね・・・。

今回も素晴らしかった。人と本との出会いを描いた基本設定の中に、ところどころに

人情味溢れるエピソードが挟まれているところもツボですし。やっぱり京極さんの

世界が大好きだなぁ。

合間に挟まれる梅園の鳥の絵がまた素敵。ビアズリーサロメが表紙ってところも

粋過ぎる。ほんとこのシリーズは手元に置いておきたいくらい装丁が神だー。

うっとり。堪能させていただきました(内容も装丁も!)。