創業九十年を超える海辺の小さな老舗旅館『凧屋旅館』。そこは、様々な古書
を揃えた文庫が名物で、別名『文庫旅館』と呼ばれていた。
本は好きだが、アレルギーがあるため読むことが出来ないという特殊な体質を
持つ若女将は、宿泊客に、その人と同じにおいを持つ本をお薦めする代わりに、
本を読んで内容や感想を聞かせて欲しいと言うのだが――。
『金曜日の本屋さん』シリーズの名取さんらしい、本にまつわる物語集。今回は
取り上げられているのはすべて古書ですが。
小さいけれども落ち着いた凧屋旅館の雰囲気がとても素敵でしたね。そこを
切り盛りする若女将の円さんの凛とした佇まいも素敵でした。若女将として
客の前に立った時は、とても二十代とは思えない貫禄があるように感じました。
でも、最終話の円さん視点では、年相応の言動もちらほら見えて、少しほっと
したところもありました。若くして旅館を背負って立たなければいけなくなった
気負いのようなものから、普段、客の前では気を張っているのかもしれません。
祖父や伯母の前では、口調も行動も、普段の年相応の円さんに戻るところが、
ちょっと意外に思いつつ、人間らしさが伺えて微笑ましかったです(お客さんの
前に出た時は、人形みたいな無機質な印象があったので)。
凧屋旅館の文庫は、文豪たちの本ばかりなので、純文学をそれほど読んでいない
私には、読んだことがないものばかりでした。唯一読んでいたのは、漱石の
『こころ』くらい。芥川の『藪の中』は、他の作品で紹介された時にすごく
気になったものの、未だに読んでないままだしね。でも、作中で紹介された本は、
どれもそれぞれに興味を惹かれました。
三話目の、見えないものが見える少年と母親のお話が一番好きだったかな。
四話目の、塾講師と塾生のお話は、着地点の思わぬ黒さに驚かされました。そこから
最終話の予想外の重さに繋がるのでしょうが・・・。一話目に出て来た葉介が
元気そうなのは良かったのですが・・・円の曾祖父のとんでもない黒歴史が
明らかになり、暗澹たる気持ちになりました。円が本を読めない体質が、あんな
ところから来ているとは。それに、凧屋旅館名物の文庫に、あんな因縁があった
というのもショックでした。それでも、認知症になってしまった三千子さんが、
ほんの一瞬、昔のことを思い出せたシーンに心を打たれました。悲しい過去は
変えられないけれど、これから兄妹の交流が始まればいいな、と思いました。
私も、こんな旅館に泊まってみたいなぁと思いました。円さんに本をお薦め
してもらってみたいな。私と同じにおいの本は何になるのかなぁ。