ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

辻村深月/「凍りのくじら」/講談社ノベルス刊

辻村深月さんの「凍りのくじら」。

カメラマンであった父が失踪してから5年。高校生の理帆子は、病気で入院中の

母と二人で必死で生きて来た。理帆子は、人との付き合いにいつも一歩引いている

所があり、どんな場所にいても、自分がその場に相応しくない、自分の居場所が

ないと感じている。

そんな自分を、尊敬する漫画家である藤子・F・不二雄の言葉から、「少し・不在」

と称していた。そんな理帆子の前に、ある日現れた一人の青年・別所あきら。彼は

理帆子をモデルに写真を撮りたいと言う。断る理帆子だったが、度々会っている

うちに、次第に彼の優しさに癒されて行く。しかし、かつての恋人・若尾に再会

したことから、理帆子の歯車が次第に狂い始めた――。


良かった、すごく。読み始めてすぐに、理帆子の性格に酷く驚かされました。

それは学生時代の自分ととても似ていたから。どんなにたくさんの輪の中にいても、

どこか一歩引いている自分がいて、人と話していても完全に会話に溶けこめない。

表面上では笑っていても、どこかに冷静な自分がいる。理帆子が抱えている他人と

自分との間の壁は、とても身近で見覚えのあるものでした。中立で、日和見で、孤独。

人の流れに逆らわず、波風立てないように生きようとする。表面上は人付き合いが

良くて付き合いやすいタイプかもしれないけど、実は一番厄介かもしれないタイプ。

物事や人にあまり執着しない所も一緒。読んでいて、理帆子が他人とは思えなかった

です。ただ、若尾のような人間を好きには絶対ならないですけど。若尾のキャラは

あまりにも痛くて、読んでいて辛かった。こういう人間が一番怖い。でもきっと、

若尾という要素だって、誰の中にもあるんだと思う。こういう人間にはなりたく

ない、と切実に思うけれども。

それに、ドラえもんは私も大好きなので、次次出てくるドラえもんの道具たちが

とても懐かしくて嬉しかった。声優交代劇以降のドラえもんはなんとなく観る気を

失っていたのですが、この小説を読んでまた観てみたい衝動に駆られました。

この作品で語られるように、ドラえもんの道具は基本的にのび太君の性格を

信用して使わせるように出来ているんだなぁと目から鱗の思いでした。なんて

優しい漫画なんだろう。いまだかつてドラえもんをここまでフィーチャーした小説

はなかったと思いますが、非常に上手く使われていて感心しました。

あと個人的にとても嬉しかったのは郁也が弾いたピアノ曲「沈める寺」の場面。

ドビュッシーのこの曲は私も大好きでとても思い入れがあるので。私もこの曲は

理帆子が想像したように、水面に沈んだお寺をイメージしていました。深い水の中に

静かに佇む寺院。不思議な、それでいて静謐で美しいイメージ。郁也がこの曲を

どんな風に弾いたのか、とても聴いてみたいと思いました。



ミステリとしてもよく出来ています。ラストで明かされる真実には素直に驚き

ました。成る程、仕掛けはいくつも用意されていたのに。全然気付かなかった。

悔しい。最後の最後で登場するドラえもんの道具の使い方が素晴らしいです。

この人、やっぱりすごい。

とにかく、ものすごいスピードで物語に引き込まれ、気がついたら時間を忘れて

最終ページをめくってた、という感じ。若くて綺麗な女性がこんな話を書いちゃう

なんて、それこそ嫉妬を覚えてしまうなぁ。良かったとか、この作品を形容する

言葉がそんな陳腐なものしか思い浮かばない自分とはなんたる差なんだろう。

でも良かった、好きだ、としか言えないです。

お薦めしてくれてありがとう、ゆきあやさん。すごく、いい本でした。