ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

薬丸岳「罪の境界」(幻冬舎)

薬丸さん最新作。ちょうど読んでいる時に職場の昼休憩でテレビを観ていたら、

王様のブランチで本書が紹介されて、めっちゃタイムリーだなぁと思いました。

薬丸さんご自身が出演されていて、なぜ本書を書こうと思ったのか等のお話が

聞けて良かったです。実際に起きた無差別殺人事件がきっかけだったそうで。

その犯人の動機が『刑務所に入りたかった』というものだったことで、いろいろと

考えさせられて本書が生まれたようです。私もそういう動機で犯罪を犯したケース

はいくつか覚えています。本当にふざけていると憤りましたっけ。

本書で取り扱っている事件も、無差別殺人事件。ヒロインの浜村明香里は、ただ

その日のその時間に渋谷のスクランブル交差点にいたというだけで、事件に巻き

込まれてしまいます。犯人から襲われ、斧で切りつけられた明香里だったが、

その場に居合わせた男性が身代わりになったことで、生き延びられた。明香里を

助ける代わりに命を落としたその男性は、死の直前、『約束は守った。伝えて欲しい』

という謎の言葉を残していた。それは誰に向けた言葉だったのか。明香里は、男性

の伝言を何としてでも相手に伝えたいと願い、男性の身の上を調べ始めることに――。

とても薬丸さんらしい、非常に多くのことを考えさせられる社会派ミステリーでした。

無差別殺人事件の被害者となったヒロイン、彼女を支える恋人や家族、犯人と同じ

ような生い立ちだったことから、犯人に興味を引かれて事件を調べ始めるライター、

そして事件を起こした犯人自身、いろんな角度から偏ることなく作品が描かれて

いて、読み応えがありました。事件を起こした方も、起こされた方も、それぞれに

語るべきことがあり、ドラマがありました。かといって、犯人側には全く同情すべき

点はありませんでしたが。確かに子供時代に母親から虐待され、育児放棄に遭った

という点では可哀想な身の上とも云えるのですが、だからといって、何の罪もない

無関係の人に悪意を向けていいはずがなく。『刑務所に入りたかった』などという

犯人の身勝手な動機には、ただただ憤りを感じるばかりでした。被害者となった

ヒロインの明香里に対する心情は、その時々で気の毒に思ったり、怒りを感じたり、

イライラしたり、好ましく思ったりと、さまざまでした。もちろん、大本のところ

では同情すべき女性なのですが、事件に遭った後の荒み方が激しくて。家族に対する

暴言やDVには、気持ちでは理解出来ても、やっぱりいい感情は持てなかったです。

とはいえ、そうした自分の言動に心底嫌気がさしたからこそ、家を出て一人暮らし

をすることになったのですけれど。もともとは素直で優しい女性だったのに、

そういう女性の人生も一変させてしまった犯人が許せなかったです。一人暮らしを

始めて、命の恩人のことを調べ始めてからの彼女は、人が変わったように強く

しっかりした女性になったように感じました。生きる目的ができると人は変わって

行くものなんでしょうね。彼女を支える恋人の航平の存在も大きかったですね。

まぁ、そもそも、彼女が無差別殺人の犠牲になったのは、航平のドタキャンのせい

っていうのもありましたけど。顔に酷い傷を負った明香里を見たら、気持ちも

心変わりしてしまうかも・・・とちょっと不安に思ったところもあったのですが、

そういう気持ちの変化は全く感じられなかったのでほっとしました。明香里に

対する負い目の感情だけではなく、きちんと彼女への愛が感じられるところに

誠実さが感じられましたね。

児童虐待やネグレクトなど、最近のニュースでも良く取り上げられている問題も

盛り込まれていて、とても考えさせられました。結局、親から虐待を受けて育った

子供は、同じように自分が大人になった時に自分の子供に同じことを繰り返して

しまう。親ガチャなどという言葉も取り沙汰されたりしますが(あまり好きな

表現ではないけれど)、実際に、育った環境で人の人生は大きく左右されてしまう

と思う。何不自由なく両親から愛情を受けて育った人間には、きっと犯人の小野寺

の心情は理解出来ないのかもしれない。それでも、その環境にあっても、罪の

境界を超えなかった人もたくさんいる。小野寺の母親のように(彼女のしてきた

こと自体には、吐き気がするほど腹が立ちましたけど)。

著者の薬丸さんが、インタビューで、こういう事件が起きた時の被害者側と加害者側、

どちらも納得できる終わり方にしたかった、みたいなことをおっしゃっていて、

ラストを読んでその言葉が腑に落ちました。大抵の場合、どうしても加害者側の

権利ばかりが優先されて、被害者側はやられ損、みたいな印象が強いから。

亡くなった飯山に関してはただやりきれない気持ちになったものの、明香里には

救いがあったし、小野寺にはそれ相応の報いがあった。母親の真意を知ったことで、

きっとこの先一生自分のしたことを悔いて行くのだろうと思えるから。

どちらにも納得の行く落とし所だったと思う。この手の社会派作品で、こういう

結末ってなかなかないと思うので、さすが薬丸さんだな、と思わされましたね。

明香里が一人暮らししていた時に、隣に住んでいた少年の今後の人生だけが

気がかりです。

どうしようもない親の犠牲になるのは、いつだってその子供たちなのです。子供が

辛い目に遭う話は読むのがキツい。彼らに明るい未来が来るようであって欲しいと

願うばかりです。