恒川光太郎さんの「秋の牢獄」。
大学二年の藍は、朝目覚めると昨日と同じ十一月七日水曜日を繰り返している。毎日同じ講義を
受け、同じ会話を友人と交わす、繰り返しの日々――しかし、ある日藍がいつも座っている
大学構内のベンチで文庫を読んでいると、知らない青年に声をかけられる。彼もまた十一月七日
を繰り返す‘リプレイヤー’だったのだ。彼が言うには、リプレイヤーは他にもたくさんいて、
彼らが集う公園があるのだという。その日を境に、リプレイヤーたちの仲間と行動を供にし
始める藍だったが、彼らの前には恐ろしい北風伯爵が立ちはだかる――繰り返される十一月
七日に終わりは訪れるのか?(「秋の牢獄」)著者珠玉の作品集。
実は予約に乗り遅れまして、地元の図書館ではえらい予約待ち数に。読めるのは当分先かな、
と諦めかけておりましたが、なんと、隣街の図書館にて目出度く開架で発見。施設は立派なのに
辺鄙な場所にあるせいか、はたまた利用客が少ないからなのか(多分両方だと思いますが)、
地元の図書館よりも人気作が早く開架に並ぶのであなどれません。同時に借りたもう一冊も
実は地元図書館では予約に乗り遅れて諦めていた作品。思わぬ行幸があるものです。
さてさて、前二作で好きな作家に仲間入りした恒川さんの三作目。お仲間さん内での評価は
半々といったところ。作風が少し変わったなどとのご意見も聞いていたので、どうかな~と
思って読みましたが、いやいや、良いではないですか。作風、私はそんなに変わったようには
思わなかったです。独特の摩訶不思議と郷愁に彩られた魅力溢れる恒川ワールドは健在です。
今回は三篇が収録されていますが、どれも根底に流れるテーマは「囚われる」こと。表題作
では『時間』に囚われ、二作目の「神家没落」では、『家』に囚われ、三作目の「幻は夜に
成長する」では自らの持つ能力を使わされる為に『ある団体』に囚われる。恒川作品には「出られ
ない(=閉じ込められる)」恐怖がよく書かれるな、という気がします。デビュー作「夜市」は、
「(現実に)戻れない」ことを描いた作品だったし、同時収録の「風の古道」も古道に迷い
込んで帰れなくなった二人の少年の話だし。これは人間の本能からすると、かなりのストレスを
感じる恐怖だと思う。そして、普通だったらここでパニックになってしまいそうなのだけど、
恒川作品にかかるとそうならない。「秋の牢獄」では、主人公は果てしない時間の循環にはまり
込むのだけれど、ある程度それに慣れてしまった主人公はその循環自体を楽しみ始める。食べ
たいものを食べ、観たい映画を観て、読みたい本を読む。しまいには、同じ循環にはまり込んだ
仲間たちと旅行して回るなんてことまで。この順応力は恐るべしです。また、「神家没落」で
『家』に囚われてしまった主人公も、だんだんとその家での暮らしに慣れ、その暮らしと
その家自体が好きになって行く。途中から商売まで始めちゃうバイタリティには面食らいました
が^^;でも、こちらは終盤に行くに連れて物語が不穏な方向に流れて行くので、そちらの方が
衝撃的でした。こういう展開、恒川さんらしいな、とも思いましたが。
ラストの「幻~」だけは主人公は順応というよりは諦観して現在の状況を受け入れている。
これだけは読んでいてあまり良い気持がしなかった。主人公が幻を作り出す力を持っている
というのは面白い設定なのだけれど、そこに宗教団体を絡めてしまった所に嫌悪感を覚えて
しまいました。ミズナとシモジョウのくだりもすごく嫌な気分になったし。ラストの余韻は
さすがですが。この後の展開の方が気になる。一体、リオはどうなっちゃうんだろう・・・。
三編ともあっという間に読めてしまうけど、読んだ後は満腹感に満たされました。文章がまた
素晴らしい。作風とはぴったり合っていて、引き込まれました。そして、装丁も素敵。秋の
夕暮れの光のグラデーションを受ける公園。真ん中にぽつんとあるベンチの周りを囲む木々が、
檻のように見えます。綺麗。作品と装丁とタイトルがぴたりとはまっている。好きだ~。
結論。やっぱり恒川さんは良い!これからも追っかけます。