ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

柳広司/「贋作『坊ちゃん』殺人事件」/朝日新聞社刊

柳広司さんの「贋作『坊ちゃん』殺人事件」。

東京から四国に帰り、知人の斡旋で街鉄の技手として働いていたおれのもとに、山嵐が訪ねて来た。
山嵐とは、おれが赴任していた四国の中学で数学の主任をしていた男である。山嵐の話では、赤
シャツが首をくくって自殺したそうだ。しかし、山嵐はそれが自殺だとは思えないという。その
真相を確かめる為、二人で四国に行くことに。調べて行くうちに、赤シャツの死の真相には意外な
事実が隠されていたことが明らかに――名作『坊ちゃん』の裏に隠されたもう一つの真実とは?


柳さんにはまりつつある私。早速冴さんお薦めの本書を借りてみました。記事を書くにあたって
いつもの如くに書評めぐりをしてみたところ、本書が氏のデビュー作だったことを知りました。
デビュー作でいきなりこんな実験的な作品を書いていたというのだから脱帽です。もともと
実力のあった方なんだろうな。

本書はあの日本文学史上には欠かせない夏目漱石の超有名作『坊ちゃん』を元ネタに据えた
本格ミステリー。文体までもそっくり似せていて、本当に『坊ちゃん』の世界そのままという感じ。
冒頭の一文(『親譲りの無鉄砲で~』ってアレです)は原典そのままに始まってるし。
ただ、私、『坊ちゃん』を読んだのは高校生の時で、なんとなく登場人物の名前や作品の雰囲気
なんかを覚えている程度で、どんな内容で、キャラ同士がどんな人物関係だったかといった細かい
部分は全く覚えてない状態だったので、正直、どこまでが実際『坊ちゃん』で出て来た設定なのか
とかその辺のところがよく分からなかったのは痛かった。これは原典をきちんと踏まえてから読んだ
方がより楽しめた気がします。まぁ、その辺りは仕方のないところとして、ミステリとしても
なかなかに読ませる作品でした。いきなり赤シャツが首をくくって自殺したという衝撃の事実に
面くらいましたが、自殺の裏に隠された様々な事実は更に衝撃的でした。そもそも、赤シャツが
社会主義派で、自由民権派山嵐と対立していたというだけでも、あの坊ちゃんの世界が全く
違う様相に見えてきます。そして、あの時代ならばそれが充分あり得ることだったことに気付き、
作者の目の付け所の鋭さに舌を巻きました。坊ちゃんが東京に帰るきっかけとなった事件に
ついても、世間知らずの『坊ちゃん』に仕掛けられた大掛かりな仕掛けを知って、当の坊ちゃん
同様に愕然としました。
実は本書を読んだ後に、『坊ちゃん』の内容をどうしても思い出したくてネット検索していたら、
運よく全文を載せているサイトに行きあたったので、ざっと目を通してみたのです。それを読んで
改めて、本書がいかに緻密に原作を元に組み立てたミステリーになっていたかがわかりました。
坊ちゃんが生徒たちにいたずらされたくだりの真相なんて、坊ちゃんが気付いた事実を元に
思い返してみると、ほんとにそれが真実なんじゃないかと思えるくらい符牒が合うのに驚きました。
うーん。すごい。よくこんなこと考えつくなぁ。

とても面白く読んだのだけど、実はミステリ部分には結構消化不良な点が残ってます。ここまで
計算して書いたのならば、最後まできちんとすっきりさせて欲しかったなぁ。これは多分、私の
読み取り不足なんだろうけど^^;









以下、ネタばれしてます。未読の方はご注意を。










一点、気になったのは、贋の赤シャツの存在。殴り合いの喧嘩をするほど間近で見ても
本人と見まがうくらいのそっくりさんが、たまたまうらなりたちの仲間にいたというのが
解せない。そんな偶然あるかなぁ?美容整形?なんだか腑に落ちなかったです。

坊ちゃんをうらなりたちに渡したくないとわざわざ四国から連れ出した山嵐が、再び彼を
四国に連れて行ったこと自体にも疑問を覚えます。山嵐は何がしたかったんだろう?
赤シャツの自殺の真相のからくりには気付いていたんじゃないのかな。坊ちゃんをだしに
して、うらなりたちを陥れたかったのか・・・なんだか、ラストが駆け足で、いまひとつ
事件のからくりを飲み込めないまま終わってしまったので、ちょっと消化不良・・・
(私の頭の問題か^^;)。








本書も原典も、どちらもラストの清さんのくだりにはほろり。清さんの坊ちゃんへの無償の愛に
じーんとしてしまいました。きっと孫のような温かさで彼を見守っていたんだろうな。

表紙が例のターナーの松ですね。でもこの絵だと松って感じしないなぁ(松じゃないのか?)。
しかも、首をくくれる枝もないし。イメージではもっと斜めに傾いでいる感じなんだけどな。
作中で登場人物も「あの曲がり具合が~」とか言ってるしね。

ミステリ部分では多少すっきりしない部分もありましたが、全体的には非常に楽しめた一作。
これから読まれる方は是非『坊ちゃん』を多少なりとも再読してから読まれることをおすすめ
致します。原典を読まれた上で読むと、きっちり原典が伏線となっている緻密な構成に唸らされる
はずです。