ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

久保寺健彦/「空とセイとぼくと」/幻冬舎刊

久保寺健彦さんの「空とセイとぼくと」。

ぼくの名前は零。お父さんと公園で暮らしている。お父さんからはいつも清潔でいろとかにこにこ
していろとか丁寧語で話せとか教えられた。上野公園に来て二度目の春、リヤカーにいっぱい荷物
を積んだおじいさんがやってきた。ちょっと怖い人だったけど、ある日小さな犬を拾ってきた。
始めは犬鍋にするなんて言っていて心配だったけど、ちゃんとエサをやって飼い始めた。子犬は
セイと名付けられていた。ある日を境にぼくはセイを散歩させるのが日課になった。それからは
毎日セイと一緒だった。十二月のある日、ぼくはお父さんを失った。その日から、ぼくとセイの
数奇な運命が始まった――犬と少年の絆を描いた傑作青春小説。


久保寺さんの最新刊。タイトルと可愛らしい表紙からは想像もできない突拍子もない作品でした。
でも、とても面白かった。作品の系統としては『みなさん、さようなら』にかなり近い。孤独な
主人公が紆余曲折しながら成長してゆく青春小説。のっけから公園で暮らすホームレス親子が
出て来て、『ホームレス中学生』かよとツッコミたくなりましたが、あちらは中学生だけど、
こちらの主人公・零はこの時まだ幼稚園児の年齢。そして、その年齢で唯一の心のより所で
あった父親を失ってしまう。そこから彼のジェットコースター並の山あり谷あり人生が始まる
のですが、彼の運命がどうなるのかはらはらの連続でページを捲る手が止められませんでした。
戸籍のない(と思い込んでいた)彼には定宿する場所がなく、いろんな場所を転々としながら
毎日を過ごして行く。でも、公園生活の時の経験があるから、住む場所がなくても全然気にしない。
まさに雑草魂たくましいというか。それは何より、相棒であるセイがいたからというのもあるの
ですが。彼とセイの結びつきの強さには人間同士のつながり以上のものを感じました。セイと
一緒に寝れないと落ち着かない零。零とある事情から離れて暮らさなければいけなくなったセイ
の憔悴の酷さ。どちらも、片方が欠けたら生きていけない。零にとっては、家がないとかお金が
ないとかそんなことは瑣末なことで、ずっとずっとセイといられない時間の方が辛いのです。
私は犬や猫を飼ったことがないから、飼い主がペットに対する愛情の深さは想像するしかできない
けど、零とセイの関係は、そんな主従関係を遥かに超える結びつきがあるように思いました。
それだけに、お約束のラストが切なかった。そして、セイが最後にあんなにお風呂に行きたがった
理由を知り、胸が締め付けられそうになりました。

公園生活から児童擁護施設に行かされ、そこを逃げ出してからの彼の生活は、「ありえない~」
の連続でしたが、どんなに悲惨な状況に追い込まれても、どこか呑気で無邪気な零の性格のせいで、
あまり重さを感じることがありませんでした。彼の置かれた状況は決して幸せとはいえないし、
人間としての最低限の生活さえ守られていない期間だってあったけど、どんな時でもバイタリティ
に溢れ、それを成長の糧としてしまう彼の性格には呆れたり驚かされたりの連続でした。人間って
強く生きようと思えば生きれるんだなぁ。読み書きや漢字を覚えたり、ダンスや足の怪我による
リハビリをきっかけに身体を鍛え始めたりと、零が日に日に頼もしく成長して行く過程は好感が
持てました。
終盤の優子さんと水沢さんの関係がとても良かったな。零が水沢さんのような人と出会えたのは
奇跡みたいだけど、きっと彼がここまで頑張って来たから神様がご褒美をくれたのでしょう。
久保寺さんは、主人公を『学んで成長させる』書き方がすごく上手いと思う。日々の生活から
ちょっとづついろんなことを学んで初めて人は成長できる。それは勉強でもダンスでも恋でも
同じ。多少展開にご都合主義的なところもありましたが、最終的に安らげる場所を手に入れた
零はこれからもきっと強く生きて行くのでしょうね。余韻の残るラストが良かったです。

ただ、唯一、ダンス用語連発のダンスシーンだけはさっぱり意味がわからず飛ばし読みに
近かったです・・・^^;最後のセイとのダンスシーンは映像で観てみたいなぁと思いましたが。

タイトルと表紙からジュヴナイルなのかと思った人は多分冒頭から面食らうと思います。
でも、根底にホームレス孤児という重いテーマを掲げつつ、主人公のバイタリティと展開の
面白さで読ませてしまう久保寺さんの手腕はなかなかです。一作ごとに確実に力をつけていると
感じます。なんとなく、三羽省吾さんと印象が被るのですが。今後も注目したいですね。