ミステリ読書録

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大門剛明/「雪冤」/角川書店刊

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大門剛明さんの「雪冤」。

平成5年初夏。フリーター生活をしながら弁護士を目指し法律の勉強をしていた石和洋次は、
ある夕、工場での仕事を終え家路につく途中の鴨川河川敷でホームレス支援団体が合唱する場に
居合わせる。そこで聞いた合唱は今までに聴いたこともないような素晴らしいもので、拍手を
しながら堤防に降りた石和は、合唱団の中で一際圧倒される歌声で歌っていた指揮者の青年と
出会い、会話を交わす。その青年・八木沼慎一は京大法学部在学、前の年にすでに司法試験に合格
した秀才で、すべてにおいて石和とは反対の恵まれた立場にいた。しかし、その日の夜を境に、
二人の位置は逆の方向に向くことになる。その夜、八木沼慎一は二人の人を殺し、逃亡。後に
警察に逮捕され、裁判で死刑宣告を受けた。そして、平成二十年春、死刑宣告から四年、慎一の
父親・悦史は息子の冤罪を信じて街頭でビラ配りをしていた。石和は、司法試験に受かり、弁護士
として彼の弁護を引き受ける立場になっていた。二人は慎一の冤罪を証明する為、必死になって
活動していた。そんな中、悦史の元にメロスと名乗り、自らを事件の真犯人と称する謎の人物から、
事件のことを謝罪し、時効直前に自首したいという電話がかかってきて――死刑制度と冤罪問題
に真正面から挑んだ長編社会派小説。第29回横溝正史ミステリ大賞テレビ東京賞W受賞作。


『雪冤』(せつえん)
無実の罪をすすぎ晴らすこと。


横溝賞大賞作です。実は、今回の横溝賞で私が気になっていたのはこちらではなく、優秀賞の
白石かおるさんの「ぼくと『彼女』の首なし死体」の方。正直こちらはあまり食指が動かずに
いたのですが、せっかくだから大賞の方も読んでおくか、と手に取ってみました。前評判から
お堅い社会派と聞いていたので、ちょっととっつきにくかったり読みにくかったりするのかと
身構えていたのですが、読み始めたら全くの杞憂で、ぐいぐい読まされ引き込まれる作品でした。
なんとなく法廷で争う裁判ものなのかと予想していたら、こちらも全くの勘違い。一人の死刑確定
囚の冤罪を巡る社会派ミステリーでした。内容や作風はかなり薬丸岳さんや東野さんの社会派もの
に近い感じ。リーダビリティの面でも似ていると思いました。だから、最後を読むまでは横溝賞
というよりは、乱歩賞を受賞しそうな作品という印象を受けていたのですが、ラストの二転三転
するどんでん返しを読んで、これは確かに本格ミステリの範疇にも入るな、と考えを改めさせられ
ました。

本書のテーマは冤罪。先述したように、タイトルの『雪冤』は、無実の罪を証明して汚名を
晴らすこと。私の予想では、タイトルのように冤罪が証明されて、晴れて死刑囚が自由の身になる
までを描くのだろうと思っていたのですが、それは途中で大きく裏切られることになります。しかも
あまりにも突然に。まさか、そういう展開に行くとは思っていなかったので、かなりショックを
受けました。ただ、受賞した時点では『ディオニス死すべし』とつけられていたタイトルが単行本化
に当たって『雪冤』に変わった理由は、そこからの悦史の行動を読めば納得がいくものでした。
息子の為に、すべてを投げうって真犯人と向き合う父親の姿に胸を打たれました。最後の最後まで
悦史は息子の冤罪を信じて疑わなかった。投獄されてから一度も自分に会ってくれない息子でも。
慎一が父親に会おうとしなかった理由と、最後に歌ったあのフレーズには胸が締め付けられるような
気持ちになりました。

死刑制度と冤罪問題。どちらも、一朝一夕で答えが出るような問題ではありません。多分死刑制度
についても、その人それぞれの意見があると思う。私も、自分なりの意見があります。本書は、
死刑反対、賛成、どちらに偏った作品という訳ではありません。多分、作者も作者なりの意見が
あるのだろうけど、偏ることなく、冷静な視点で書かれていると思う。賛成反対、どちらの意見
を唱える人物も出てきますから。最終的にどちらがいい、とか悪いとかの判断を下している訳
でもありませんし。どちらの意見も、非常に考えさせられました。ただ、被害者遺族である菜摘
に何の配慮もせずに自分たちの意見を押し付けようとする死刑反対派の女子学生の態度にはムカ
つきましたが。愛する人を殺された経験のない人間が、殺された経験のある人間に何を言っても
詭弁にしか感じられなかったです。

巻末の選評委員の評にあるように、確かにこの題材で二転三転させるどんでん返しが必要だった
のかは疑問も覚えます。二転三転させることで帰って、最終的な着地点が平凡なものになって
しまった感がないとはお世辞にも云い難い。ただ、私はそこに作者の本格への意識と意欲が感じ
られて、良かったと好意的に受け取りました。でも、作品としてはやっぱりその前で終わらせて
おいた方が衝撃度は高かった気はするのですが・・・。それに、最後の真相はかなり後味が
悪いものでしたし。まぁ、『走れメロス』に沿った真相という着地点は良かったと思いますが。


裁判員制度がスタートし、最近冤罪事件が取りざたされたこともあり、非常にタイムリーな主題
で問題提起した作品になったと思います。多分そういう『旬』な部分も評価された理由の一つ
ではないでしょうか。日本の司法の問題点に真っ向から挑んだ意欲作と云えるでしょう。
大変考えさせられる力作でした。是非読んだ方の意見を聞いてみたい作品です。

選考委員の中では「ぼくと『彼女』~」とのほぼ一騎打ちだったようです。当然こちらの方が
優勢だったようですが。
ちょうど今、その「ぼくと『彼女』~」を読み始めた所なので、読了後そちらの記事でどちらに
私個人の軍配が上がるか述べたいと思います。