ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

道尾秀介/「月と蟹」/文藝春秋刊

イメージ 1

道尾秀介さんの「月と蟹」。

父親の働く会社が倒産し、鎌倉で一人暮らしをする祖父と同居し始めて二年。一年前に父が亡くなり、
小五になった慎一は、つましい借家で母と祖父と三人で暮らしている。転校して以来、クラスメイト
たちからは孤立し、嫌がらせを受けている慎一だったが、唯一同じ引越し組の春也とだけはウマが
合い、行動を共にしていた。ある日、二人は廃業した飲み屋の裏側に秘密の場所を見つける。そこで
二人は、ヤドカリを神に見立てて願いごとをする遊びを思いつく。すると、願った通りの出来事が
現実になり始めて――ほの暗い少年たちのひと夏を描いた著者渾身の長編小説。


我らがミッチー最新刊。文春からの刊行だし、直木賞本命作と言われているということで、
かなりの自信作なんだろうなーと思いながら読み始めましたが、なるほど、読み終えて、確かに
これは直木賞狙いかもなぁと思いました。極力ミステリー要素を省いて、人間心理に肉薄した
作品、と云えるでしょうか。主人公は小学五年生の少年ですが、その内面はかなり陰鬱としていて、
子供らしい無邪気な明るさみたいなものは全くありません。彼の置かれた環境からある程度は
仕方がないとは云え、そのマイナスの心理描写には、読んでいるこちらまでどんよりとして来て
しまいました。この辺りは『球体の蛇』とか龍神の雨』を読んでいる時と似た印象かな。
決して気持ちの良い読書とはならないのだけれど、リーダビリティは抜群にあるので、結局
一気読みしてしまう。このあたりの、文章の吸引力はやはり、素晴らしいものがあると思います。
ただ、正直、ミステリー要素での驚きがない分、なんだか少年の鬱屈した日常を延々読まされた
だけ、という印象しか残らず、全体的に読み終えて物足りなさを感じました。それに、ヤドカリを
あぶり出してヤドカミ様に願い事をする場面は、やっぱり読んでいて嫌悪感しか覚えませんでした。
こういう年代の少年少女にはありがちな、無邪気ゆえの残酷さではあるのですが・・・ヤドカリ
とはいえ、生物虐待なのは間違いなく、それを楽しそうにやるところに怖気が走りました。







以下、終盤の真相に関するネタバレがあります。未読の方はご遠慮下さい。























ミステリー要素がないと書いてしまいましたが、皆無という訳ではなく、一応主人公の慎一の
机に入れられる嫌がらせの手紙の犯人の謎や、終盤のあるシーンで出て来る人影が誰なのか、
というようなちょっとしたミステリー要素は挟まれています。ただ、嫌がらせの手紙に関しては、
誰もが思い浮かべられる犯人でしかなかったし、人影に関しては、はっきり誰とは明かされず
曖昧なまま。個人的にはこの人影の人物、慎一と『約束』を交わしたあのひとではないかと
思ったのですが、どうでしょう。そうだとしたら、この作品の評価も大分変わって来るのですが
(いい方に)。ただ、あの身体の状態で、その行動が可能だったかどうか、という点で大きく
疑問が残るところではありますし、嫌がらせの手紙の人物のようにも取れる書き方もしているし、
真相はわからないまま。蝦蟇倉市のあの作品のように、ヒントでも提示して、この人物しか
考えられない、というような書き方だったらすっきりしたのになぁ。でも、それだと余韻が
なくなってしまうかな。むむむ。この曖昧な感じも、作者のミステリーへの脱却の証なのかな。


人間の心理描写を含めた文章力や表現力は、一作ごとに確実に巧くなっていると思います。
でも、その分ミステリーから離れて行ってしまっているのがファンとしてはやっぱり悲しいです。
色眼鏡で見ないで欲しいと言われていても、やっぱりミステリー(ホラー要素も強かったけど^^;)
でデビューしているし、どんでん返しの派手な仕掛けミステリが書ける力を持っている人だし、
そういう作品をどうしても期待してしまう。文芸作品としてみれば、とても優れているかもしれない
のですが、個人的に好きな作品とは言いがたい。印象としては、ほんとに『球体の蛇』に近い
かも。主人公が小学生な分、主人公への嫌悪感がまだ少なかったけれど。春也とガドガドの裏の
秘密の場所で新しいことを始めた時の、ワクワクした少年時代の煌きが感じられるシーンは良かった
ですけどね。気になるのは、やっぱり、この後の春也のことかなぁ。父親とのことが解決しても、
孤立はそのままだろうし・・・。なんだか、後味がいいとは言えない読後感。何が解決した訳でも
なく、結局嫌な思いをしただけで鎌倉の街を去る慎一にとって、この街で暮らした時間は大切な
思い出と成り得るものだったのでしょうか。せめて慎一が、春也や鳴海と出会えて良かったと
思えているならば良いのだけれど。でも、一番は祖父と最後に暮らせたことをいい思い出だと
思って欲しいな。多分、祖父の昭三は慎一が誰よりも可愛くて、一緒に暮らせて嬉しいと思って
いた筈だから・・・。














これで直木賞を獲ってしまったら、完全に道尾さんの作風は文芸方向にシフトしてしまうのかな。
そうだとしたら、ファンとしてはやっぱり残念です。まぁ、ノミネートは間違いないでしょうね。
さて、どうなるでしょうか。5度目の正直になるかな。