ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

道尾秀介/「笑うハーレキン」/中央公論新社刊

イメージ 1

道尾秀介さんの「笑うハーレキン」。

経営していた会社も家族も失い、川辺の空き地に住みついた家具職人・東口。仲間と肩を寄せ合い、
日銭を嫁ぐ生活。そこへ飛び込んでくる、謎の女・奈々恵。川底の哀しい人影。そして、奇妙な
修理依頼と、迫りくる危険―!たくらみとエールに満ちた、エンターテインメント長篇(紹介文抜粋)。


我らがミッチー最新作。読売新聞夕刊で連載されていた作品だそうです。今回は、家具会社の
社長から一転、ホームレス生活を余儀なくされた中年男の転落人生とそこからの再生を描いた感動作。
ミステリ作家時代に(こういう書き方をすると、ミステリ作家じゃなくなってしまった感じが
して嫌なんだけど、実際出す作品がことごとく文芸よりのものばかりになって来ているから仕方ない)
「人間が描けていない」とこき下ろされた作家と同じ人とは思えない、巧みな人間心理と人物描写は
お見事です。
分類分けするとミステリよりは文芸よりだと思うんですが、ミステリとしての仕掛けがない訳
ではありません。終盤、ある部分でミッチーらしい仕掛けが施されていたことに気付かされ、
あっと言わされました。

道尾さんは、一作の中で必ず光の部分と闇の部分を描き入れる作家だと思うのですが、今回も、
一人の男の人生の、光と闇の部分を対照的に描いています。
家具の会社を営み、妻と子供もいて順調な人生を歩んでいたかに思えた家具職人の東口だったが、
不況の煽りで会社が倒産、その上、一人息子を事故で亡くし、それが原因で妻とも離婚。仕事も
家族もお金も全てを失った東口は、ホームレスたちが集まる川辺の空き地で家具修理をしながら
日銭を稼ぎながら糊口を凌ぐ生活に。そんな東口の元に、一人の女がやってくる。女は、会社
時代の東口のことを知っていて、家具職人の弟子にしてほしいと乞う。その女の出現をきっかけに、
東口の日常が変わり始める――と、こんな感じ。
人生を諦めかけた中年男の絶望と諦念がリアルに胸に迫って来て、切なかったです。絶頂だった
人生が底辺まで落ちた訳ですから。唯一の楽しみが、亡くなった息子の姿を収めたビデオテープ
を観ることだけ。それも、音声すらつけずに、ただ画面だけを眺めるだけ。この姿を想像した
だけで、もう、胸が痛くて痛くて。
それでも、ホームレス仲間に恵まれたおかげで、それなりに人間らしい生活が出来ているところが
救いでした。元家具職人ってことで、少ないながらも家具修理などの仕事をして収入が得られる
術があるってところも良かったです。

ただ、そこら辺のホームレスよりはまともな身なりとは言え、近所の人や世間の目は冷たい。
好意的に話しかけてくれるご近所さんさえ、子供たちには絶対彼らの元に近寄らないように
言いつけていたりする。この辺りの、一般人から引かれるあからさまな境界線の厳しさの描き方
なんかは、さすがに巧いなぁと思いましたね。普段世間話をしてくれる人たちも、いざと
なったら彼らを下に見ていることに気付かされた時の東口たちのばつの悪さとかね。胸が
痛い。ただ、そういう彼らを気の毒だとは思いつつも、もし自分がそのご近所さんの立場に
置かれたら、やっぱり彼らを蔑むような態度を取ってしまう気がします。自分だったら、
近寄ろうとさえしないかも・・・。

道尾さんは、社会的弱者への目線が優しいですね。これを読んでいて、私は『片目の猿』
思い出したのですけれど、あの作品も立場は違えど社会的弱者たちの物語ですよね。どちらも、
それぞれにそれぞれの生き方で、必死に今を生きている。
私が今回の作品ですごく印象に残ったのは、東口と共に生活しているホームレスたちが、
終盤、ある理由で東口の家具修理を手伝うところ。東口からお金をもらうでもないのに、
とても生き生きと仕事をしている。仕事が出来るという事実自体が喜びなんですね。彼らに
とっては。仕事って、生きる上でほんとに大事なんだなぁと痛感させられました。そのことを
受けての、ラストの東口の奈々恵への言葉がすごく嬉しかった。それが本当に実現されたら、
どんなにか素敵なことだろう、と思いました。それが実現した未来の彼らの話が読んでみたい!
切実にそう思いました。

先に、ある部分であっと言わせる騙しの仕掛けがある、と書いたのですが、その部分は、
正直、それまで読んで来た東口の印象を一変させる程の衝撃を持っていました。東口の可哀想な
過去がすべて覆された気持ちでした。でも、だからこそ東口の抱える闇の深さがわかったし、
彼の後悔と諦観の理由もすべてがわかりました。彼は、自分を倒産に追い込んだライバルでも、
○○をしていた妻でもなく、自分に一番怒っていたのでしょうね・・・。それを知って、東口
にがっかりした部分も確かにあったのですが、彼がどれほど後悔して苦しんで来たかもわかった
ので、それほど嫌悪感を抱くこともなかったです。彼はかえって、ホームレス人生を経験して
いろんなことがわかって良かったのかもしれません。
なんか、ちょっと前にやってたキムタクの月九ドラマみたいですけど^^;

終盤、怪しげな家具修理をさせられるところからの展開は、さすがにちょっとご都合主義的な
印象も受けたのですが(特に逃げ切るところね)、まぁ、その辺は物語展開上仕方なかったの
かな、と。もうちょっと納得行くような終わらせ方も出来た気がしないでもないんですけど・・・
(だって、あの状態で、普通で考えたら絶対口止めで済むとは思えないでしょ^^;)。

でも、ラストは未来に向けて光が見えて良かったです。最下層まで落ちたんだから、あとは
這い上がるだけ。奈々恵もいることだし、東口にもホームレス仲間のみんなにも、明るい
未来が待っているといいな。私も仮面を被るなら、笑顔の方がいい。彼らみんなの仮面の下も
笑顔でいられる未来になってほしい、と願います。


道尾さんにしては地味とのご意見もあるようですが、私は個人的にはとても好き。読んでいて
辛かったり、やるせなくなったりもしますが、読後は切なくも温かい気持ちになれる良作だと
思います。