ミステリ読書録

ミステリ・エンタメ中心の読書録です。

水森サトリ/「でかい月だな」/集英社刊

水森サトリさんの「でかい月だな」。

満月の晩、友人の綾瀬に崖から蹴り落とされたぼく。三日間意識を失い、目が覚めた時には
ぼくの右足はぐしゃぐしゃになっていた。「殺人者」になりそこなった綾瀬は知らぬ間に姿を
消していた。そしてぼくは何度も手術とリハビリを繰り返して、一年後再び中学二年生として
復学した。クラスになかなか馴染めなかったぼくは、科学オタクの中川と、クラスで同じ様に
孤立している、邪眼を持つと噂されている女・横山かごめと出会う。優しい中川と、ぼくを
憎悪するかごめ。そんな中、ぼくの周りの人間たちが少しづつ変化して行く。一体彼らに何が
起こっているのか――そして、ぼくを蹴り落とした綾瀬の本心とは?第19回小説すばる新人賞
受賞作。


あちこちのブログで紹介されていて、なかなか評判が良さそうだったので借りてみました。
ただ、読もうとしていた矢先にとても読みたい作品が回って来て、正直こっちは今回スルー
しようかなと思いかけてました。でも、せっかく借りたのだからちょこっとだけでも読んで
から判断しようと思って読み始めたらば・・・止まらなくなりました。面白いじゃないか!
のっけから友人に崖から突き落とされてしまう主人公ユキ。周りがあまりにも蹴り落とした
犯人である綾瀬を非難するから、つい彼を擁護してしまう。普通理由もわからず大怪我を
させられたら怒るし憎むでしょう、とユキの性格がどうにも現実離れしているなぁと思って
いたのですが。
ここから、SF的要素が加わって、周りがなぜかみんな優しく道徳的になって行く。とても
良いことなのに、何か違和感がある。そして、優しい心を持ったみんなが綾瀬を許そうと
した途端、ユキの中の何かが爆発する。それは理不尽な怒り。今まであんなに非難していた
くせに、手のひら返したような周りの態度に腹が立ち、今度はユキだけが「悪い態度の
人間」になってゆく。この辺りの少年の微妙な心理描写が実に巧い。ユキは決して聖人君子
のような清らかな心の少年ではなかった。時には人に優しくするし、時には心ない言葉で人を
傷つける。ただただ優しいだけの主人公だったら引いてしまっていたと思う。でも、ユキの
綾瀬に対する気持ちだけは本当だった。「あいつを許していいのはぼくだけだ」この言葉
が綾瀬に対するユキの全てだったんだと思う。誰にも介入して欲しくない。だからこそ、
ユキは周りが綾瀬を非難する言葉も、容認する言葉も受け入れられなかったんだと思う。
これはもう、二人の間の友情とも何とも言えない関係だけが生み出すもの。ユキの気持ちの
変化がすんなりと胸に入ってきて、すとん、と腑に落ちました。

そして、やっぱり特筆すべきは中川とかごめの人物造詣でしょう。対照的な二人のキャラが
実に効果的に物語に溶け込んでいると思いました。中川はまさにツボ。いやー、好きだ。
天才的頭脳を持つのに、家事全般が出来て妹思い。ユキへの優しさは、何か母性本能的な
ものを感じました。完全に拾って来た野良犬を世話してる感じでしたけど^^;それだけに、
終盤ああなってしまうのは残念。しかもああなってからはもう捨てられたキャラのように
出て来なかったし。「やつら」が去って行って世界が元に戻った後のエピソードも入れて
欲しかったです。なんだか尻切れトンボのような肩透かしを食った気分だったので。
かごめについても同様。「邪眼」の正体もわからず、「やつら」が来た時どうしていたかも
わからず、そのまま終わってしまったので消化不良。最後に綾瀬のエピソードを入れたかったのも
わかるのだけど、エピローグのような形でもいいから中川とかごめとの‘その後’を書いて欲し
かったです。

一番胸にずきんと来たのが、かごめが言った「あいつ(中川)は話し言葉に『でも』を絶対使わ
ない」という台詞。『でも』は相手を否定する言葉で、相手に不快感を与えるから、と。
私はすぐに「でも」って言葉を使ってしまう。自分の意見を主張する為に、自分を正当化する為に。
相手が不快だとか傷つけるとか考えもしないで。こういうさりげない思いやりを無意識にやって
いる中川を尊敬してしまいます。身に積まされました。

SF要素はもう一歩書き込みが足りず、やや中途半端な印象。ただ、無数の青いさかなたちが
空を覆いつくす情景は絵本の世界のようにキレイで印象的でした。そして、大きな満月も。
新人らしくストーリー的には未熟な面もあるけれど、それを凌駕する勢いと瑞々しい感性を
感じました。

SFというよりも、青春小説の快作として是非多くの人にお薦めしたいです。
危うくこんな良い小説を読まずに返すとこだった。危ない、危ない。