ミステリ読書録

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北森鴻/「暁英 贋説・鹿鳴館」/徳間書店刊

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北森鴻さんの「暁英 贋説・鹿鳴館」。

作家の津島好一は、進まぬ筆に悩んでいた。新作のテーマは、鹿鳴館―誰もがその名を知っている
建築物。調べてみると資料が極端に少なく、設計図さえまともに残っていない。鹿鳴館は謎に
包まれたまま建造され、その謎をまとったまま歴史から消えた建物と言えようか。しかし津島は、
ある人物との邂逅をきっかけに、堰を切ったように物語を紡ぎ出し始める。明治十年、日本政府に
雇い入れられた若き英国人建築家―のちの鹿鳴館建造担当者―ジョサイア・コンドルは、横浜港に
降り立ち、外務卿井上馨らと対面する。工部大学校造家学科教授兼工部省営繕局顧問としての
コンドルの多忙な日々が始まった。日本趣味の昂じたコンドルは画家河鍋暁斎に弟子入りし、
「暁英」という雅号をもらう。一方でコンドルは、来日の仲介をした国際商社ジャーデン・
マセソン社から、ある密命を帯びていた。それは、銀座煉瓦街の設計を担当した後に忽然と姿を
消した、ウォートルスというアイルランド人建築技術者の消息を調べることだった。コンドルは
やがて、時代が大きく動く際に必然的に生じる、濃くて深い闇の中に、自分が足を踏み入れて
しまったことを知る―。鹿鳴館とは、何だったのか。そして明治とは、果たして何だったのか
(あらすじ抜粋)。連載途中で断筆となった、著者未完の遺作。


今年の1月25日に急逝された著者の北森さんが最後の最後まで書き続けていた作品です。
最終ページに編集部からの一言が添えてあって、それによると、本書の最後の原稿は今年の
1月14日にメールで編集部に送られて来たそうです。そのわずか11日後に北森さんは
亡くなりました。こんなに素晴らしい壮大な歴史ミステリーを完成させることなく。本当に、
本当に残念です。あともう少し、ほんのあともう一歩ですべての謎が明かされるという最大の佳境に
入ったところだったのに。そのすべての謎の答えは北森さんの頭の中に仕舞われたまま天国に持って
行かれてしまいました。きっと、北森さんご本人が一番無念であることでしょう。完成されて
いたなら、間違いなく著者の代表作と言われる傑作になったと思います。歴史や時代物が基本的に
苦手な私ですら、読む手が止められない程抜群のストーリーテリングで、コンドルや河鍋暁斎
魅力溢れる人柄に惹きつけられ、鹿鳴館の謎に興奮して読みふけりました。政治の部分はやっぱり
とっつきにくい部分もあったのですが、明治という激動の時代に生きた人物たちの明と暗がとても
リアルに迫って来て、自分のその時代にいるかのような気持ちで読めました。

主人公はあの鹿鳴館を建てた建築家、ジョサイア・コンドル。読み始めるまで全く気付いて
いなかったのですが、少し前に観に行ったマネとモダンパリを開催していた丸の内の
三菱一号館を設計した人でもあったのですね。一度解体されたものの、当時の技法を全て踏襲
して新たに立て直されたものなのだそう。レトロとモダンが融合した面白い美術館の造りに
とても感心して、建物自体も美術品だなぁと思っていたばかりだったので、あまりのタイムリ
さに、何かの符合のような運命的なものを感じてしまいました。
名前だけは良く知っている鹿鳴館ですが、実は謎が多い建物だったのですね。たった三年で解体
されてしまったことも知らなかったし、その設計図が残されていないというのも意外な事実でした
(この辺りは実話ですよね、多分)。物語は、作家の津島が鹿鳴館に関する作品を書こうとして、
ある情報を手に入れることから、天啓のように物語の構想が出来上がるというプロローグを経て、
津島の作中作がスタートする、という形を取っています。未完の為、津島の出番は最初の部分だけ
ですが、この人物は間違いなく北森さんご自身が反映されているのでしょう。津島が、謎の多い
鹿鳴館についての情報を謎の青年・雲南から得たことで、それまで書いていたプロットを全て捨てて、
夢中になって新たな物語を書き始める姿が、北森さんがこの作品を夢中になって書いている姿と
重なりました。北森さんも、鹿鳴館やコンドルと河鍋暁斎との繋がりを知って、創作意欲を
掻き立てられたのではないでしょうか。奇しくも、河鍋暁斎は、その幽霊画が北森さんのデビュー作
『狂乱廿十四考』でも重要な役割を担って登場します(実は、私自身はこの辺りはすっかり
忘れていて、ネットや巻末の杉江松恋さんの解説で思い出したのですが^^;;)。そういう
部分でも、何か運命めいた何かを感じる作品です。作中に登場する暁斎は非常に個性的なキャラで、
好人物に描かれています。コンドルと師弟関係を結ぶに至るまでにはかなりの紆余曲折があるの
で、二人の交流の場面は物語の終盤まで出て来ません。もっと、二人の師弟の会話が読んで
みたかった。
もちろん、ジョサイア・コンドル自身の人物造詣も非常に魅力的。ちなみに、タイトルの『暁英』
とは、河鍋暁斎に弟子入りしたコンドルの絵師としての雅号です。この作品を読んで、コンドルと
暁斎、二人の人物に好印象を抱かない人はいないのではないかな。特に、コンドルの裏表のない
真っ直ぐな性格は、読めば読む程好感が持てました。彼の根っからの日本贔屓の精神が微笑ましく、
読んでいてとても清々しい気持ちになりました。だからこそ、不本意な密命に対して、日本を
裏切っているような後ろめたい気持ちになって懊悩する彼の姿に悲しくなりました。何のしがらみ
もなく、日本で自らの建築技術を伝授するだけの仕事の為に来日出来ていたら、彼はどれだけ幸せ
だったことか。国と国の権力の挟まれ翻弄されながらも、自らの進むべき道を見極め、鹿鳴館
建築にすべてをかけるコンドルの決意に胸を打たれました。だからこそ、その裏に隠された真意
が何だったのか、そしてその先にあるものが何だったのか、知りたかった。こんなに魅力溢れる
物語が未完で終わってしまうなんて・・・。あまりにも、悲しい。ただ、残念でなりません。

なぜ絵版師に頼まなかったのかのベルツ医師が登場したりして、他作品とのリンクがあるのも
北森作品らしい嬉しい要素。名前こそ出て来ませんが、ベルツ医師の助手の冬馬君もチラリと登場して
ニヤリ。あちらにコンドルさんって出て来ていたのでしたっけ。本書の二人の親密な関係から、
絶対出て来ていないとおかしい気はしますが。そちらもまた再読したくなりました。

本書を読んで、ジョサイア・コンドルの建築に興味を持ったし、河鍋暁斎の絵も実物を観たく
なったし、鹿鳴館という建物のことももっと知りたくなりました。本当に、面白かった。
未完ですが、傑作です。壮大な歴史ミステリーとして、たくさんの人に読んで欲しい。そして、
北森鴻という素晴らしい作家がいたこと、もっともっとたくさんの人に知って欲しいです。
ジョサイア・コンドル河鍋暁斎に興味がある人なら間違いなく楽しめるでしょうし、そうでない
人にも十分魅力溢れる歴史ミステリーです。未完でも、強くお薦めしたい傑作であることは
間違いありません。
巻末の杉江松恋さんの解説と、最終ページの編集部からのメッセージにまたも涙。批評家や
作家仲間からも、編集部からも、本当に愛された作家だったんですね。


参考写真(ウィキペディアより)