ミステリ読書録

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貴志祐介/「悪の教典 上下」/文藝春秋刊

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貴志祐介さんの「悪の教典 上下」。

「俺には感情がないらしいんだ」。生徒からの絶大な人気を誇り、職員室やPTAの間でも信頼の
厚い教師、蓮実聖司(はすみ・せいじ)。好青年の貌(かお)をもち、高いIQを誇る蓮実の
正体は、決定的に他者への共感能力に欠けた反社会性人格障害サイコパス)だった――。暴力
生徒やモンスターペアレント、集団カンニングに、淫行教師。現代の学校が抱える病理を自らも
内包する私立学園に起きた惨劇とは(あらすじ抜粋)。


貴志さんの新作。上下巻で分厚いので『新世界より』みたいな感じかな、と思っていたら、
系統的には『黒い家』のような、人間の怖さに震撼させられるサイコホラーでした。いやー、
凄かったです。これは完全にR指定作品ですね。健全な学生諸君には読んで欲しくないなぁ。
主人公は学校の先生です。一見、生徒からも教師仲間からも絶大な信頼を寄せられる好青年。
でも、この先生、トンデモない裏の顔を持っているのです。もう、それはそれは悪魔か死神か、
というくらいの、人間とは思えない所業を繰り返す感情のない、まさしく『モンスター』
上巻は主人公蓮実の教師生活を追いながら、彼の過去の恐るべき悪魔的犯罪が小出しに明らかに
されて行きます。そのどれもが何の躊躇もせずに一片の感慨も持たずに遂行されて行く様は、
読む側を戦慄させずにはいられません。周りであれだけ死人が出ているにも関わらず、冷静で
完璧な犯罪のせいか、誰一人彼に疑問の目を向けない。ピカレスク小説だと思って読んでなかった
ので、蓮実の人物像には本当に驚きました。彼の怪物っぷりは圧巻です。もちろん、嫌悪と憎悪
しか覚えないし、読んでいてほとほと嫌気がさしてくるような描写のオンパレードなのですが、
読む手を止めることができません。先へ、先へとあっという間にページがめくられていく、その
リーダビリティはやっぱりすごい。息もつかせぬ展開で、一体この先どうなってしまうのだろう
と戦々恐々としつつ勢いに乗って下巻へ突入。ただ、下巻はまた上巻とは全く違った展開になって、
蓮実のサイコパスとしての異常な心理と行動という意味ではより凄まじさを見せつけるものの、
その結末自体はおそらく誰もが先が見えてしまうようなありきたりさで収束されてしまった
ところは少々残念でした。最後に出て来る、ある二人の生徒の行動も、やっぱりそうだったか、
って感じでしたしね。急遽思い立って起こした殺戮計画だっただけに、所々で蓮実にしては
計画が杜撰になってしまったというところなのでしょうけれど。もっとどうしようもなく救いの
ない結末にも書けた気もしますが、そうなると本当の悪魔の教典になっちゃうだろうしね・・・。
ただ、蓮実というモンスターならいつか必ず復活するような気がしますが・・・。
とにかく、下巻の畳み掛けるような蓮実の殺戮シーンは、読む者を震撼させずにはおれない
迫力とおぞましさがあり、その地獄絵図たるや想像を絶するものがありました。怖かった。
こんな教師が世の中にいたらと思うと・・・。そして、怖いのは、あれだけの犯罪を犯して
いながら、生徒たちがそれでも尚、彼を信じようとするところです。善人のふりをして生徒を
言葉巧みに騙し、信じさせた途端に無情に猟銃の引き金を引く様には、本当に怖気が走りました。
人を殺すこと自体が楽しいという快楽殺人タイプのシリアルキラーとはまた違って、殺人に対して
何の感情も感興も持たずにそれを遂行する、というところが一番怖かったかもしれません。どんなに
親しくしていた人物でも、自分にとって不利益になるとか邪魔だと判断すれば、何のためらいもなく
殺す。IQが高いだけに、その手段や手口は恐ろしく巧妙で狡猾、かつ大胆。よくもまぁ、こんな状況
で殺人が犯せるな、という場面も多かった。特に驚いたのは、終電車である人物を首吊りに見せ
かけて殺した場面。いくら乗客が少ない時間帯だからって、電車という閉鎖空間の中で人を殺す
というのは、相当の度胸がないと無理でしょう。でも、蓮実のことだから絶対誰にも見られて
いないことを計算してやったんでしょうけどね・・・。

冒頭で出て来たフギンやフニンのカラスたちは、もう少し蓮実の精神に影響を与えて欲しかったな。
せっかく不気味な雰囲気を醸し出していたのに、終盤結局大した脅威にもなってなかったのは
残念だった。特にムニンには、フギンの敵を取って蓮実に一矢報いて欲しかったな。

蓮実が無意識に口ずさむモリタート』ってどんな曲なんでしょうか。耳慣れた曲なのかな。
聴いてみたいけど、蓮実のおぞましい犯罪を思い出して気が滅入りそうだ^^;


蓮実の少年時代の犯罪も怖かったなぁ。その辺りは歌野晶午さんの『絶望ノート』のアノ人物を
彷彿とさせました。何にせよ、前代未聞のピカレスク小説だと思います。ピカレスクっていうのも
なんとなく蓮実とは合わない気はするんですが。悪漢なんてもんじゃなく、悪魔とか怪物って
言う方がやっぱり合ってる気がします。ここまで一作の中で一人の人間が大人数の人間を殺す話も
少ないのではないでしょうか。八つ墓村なんかよりもよっぽど多いんじゃないのかなぁ。
ホラーに於いて何よりも恐ろしいのは人間だ、と言わしめるような作品ではないでしょうか。
蓮実のような人物が現代に存在しないことを祈るばかりです。

とにかく嫌な話だし、生理的嫌悪を感じる人も多そうですが、リーダビリティは一級品。上下巻
揃えてお読みになることをお勧め致します。
ホラー作家としての貴志祐介の才能が遺憾なく発揮された怪作と云えるでしょう。